孔明先生にとっての義とは?
諸葛流文霊想作家の玄子(げんし)です。
*文霊(あやだま)とは?
時代、時空、国境を越えて読む人の心を動かす力を持っている文字には霊(魂、精神)が宿っている
という概念から生まれた玄子の造語です。
今年は孔明先生とこの世で再会して30年目。
ってのを記念したわけでもないのですが、終活の一環として2週間前から春秋戦国時代に足を踏み入れました。
当初、アメブロで綴っていた中国作成のドラマ东周列国の概要と、感想と孔明先生の文霊。
第一話はこちらから。
三日坊主で終わりそうなところを管仲&鮑叔牙に助けられ士気も高まり、日課にすることができました。
なので!今日から学びのアウトプットはこのサイトで行うことにしました。
受けた恩義、どうしていますか?
三国志や孔明先生の文霊を介して春秋時代に学びます。
今回は重耳の異母弟、恵公が恩を仇で返す内容でした。
恵公のプロフィールは↑ウィキペディアにお任せしています。
どんなふうに恩を仇で返したのか?もウィキペディアでご確認ください。その上で
ドラマを見ると中国語発音、字幕なしでも、なんとなく内容を掴めます。
関羽殿に学ぶ恩義の義
この作品の恵公を見て思ったのは、関羽殿が赤壁の戦いの時に曹操閣下を見逃した義。
「あの時、私情を挟まずに討っていれば!」と思われがちですが、
春秋戦国の書を愛読し、精通していた関羽殿にとって、昔日の恩義を忘れることは恵公のようなものと思われたかも。
恩義を返さずに生き延びるくらいなら、命令違反で死罪となってでも自分の信じる義を貫く
そんな関羽殿だからこそ、今でも世界中の人に愛されているのです。
あの時、仮に討ち取っていたら今日、関帝廟が世界各国にあったのかなと思わなくもなく。
↑台中にある関帝廟
また、曹操閣下は冷徹なイメージが強いですが、義の人、関羽殿を敬慕し続けるような人です。
どんな想いで見逃してくれたのか、痛いほどわかっていたのでしょう。
その証拠に曹操閣下が洛陽に建立した立派なお墓は、今日に至るまで関林として大事にされています。
羅貫中もそんな義の人・関羽殿に惹かれたからこそ「三國演義」を書いたのです。
ってことを思えば。
恩を仇で返す行為は、百害あって一利なし!
孔明先生の文霊
有死之榮 無生之辱
孔明先生にとっての「義」
今日の文霊は孔明先生にとっての「義」
意味は漢字で大体わかると思うし、敢えて訳さない方が心の中でイメージし易いと思います。
そのイメージとは何かといえば、まさに関羽殿そのもの。
孔明先生にとっての義を体現しているのが関羽殿。
関羽殿と生きた孔明先生だからこそ感じた義に込められた文霊の想いを漢字で感じてくだされ〜!
こんな感じで春秋時代+三国志+孔明先生の文霊で暫時、私淑生活を楽しんでいきます。
興味があったらよろしくです!