生まれた理由とか使命とか必要かどうかって議論すること自体、不要じゃない?
自分が生まれてきた意味や理由、使命
すっごい大事!って人もいれば、そんなの必要ない!って人もいます。
私的には、三国志への捉え方と同じ。
正史とか演義とか関係なく、自分の心や運命が動かされたならそれを大事にすればいいってのと同じで
意味や使命を感じたならそれを大事にすればいいし
そんなのそもそも、存在しないし、必要ないって思うならそれはそれでいいんじゃないでしょうか?って思います。
どっちが正しいか否かではなく
どっちが自分に合っているか?
大事なのは、意味のあるなしの捉え方ではなく、生きること。
生き続けることほど難しいことってないと思うので。
私は意味がないと必要性を感じなくなってしまうので
生まれてきたことに意味はない、生まれたから生きているだけってのが唯一の正解だとしたら、それ以外に選択肢がないのだとしたら
「生きている意味ないんでしょ?さよなら、自分」
って危険な破滅思考に走るので、私にはお勧めしません。そういう概念や主張のものとは距離を置くようにしています。
自分の命は、自分で守らないと。
強気な物言いをされると、どうしてもそっちが正しいって思い込みやすいけど
生きていく上ではそんなことさえどうでもいいし、大事じゃないのです。
が!生きる意味や使命って誰かに言われて決めるもんじゃなくて
「これをやらずに死ねるか」って魂ドカンの情熱がぶちかますもの。
なので使命ってよりは志命。
命を燃やし尽くして貫きたい志
ってことで。生きている意味は人それぞれあっても、なくてもいいと思います。
揚げ足取りの議論を繰り返しても、大事なのってそれじゃないから。
自分が生きたい!と思える、より自分の人生と命を大事にできる方を自分なりに感じて
自分に合った道を生きて逝けたらと思います。
玄子(げんし)