諸葛忠武侯に学ぶ「聖なるもの」の守りかた

諸葛孔明先生を人生の師と仰いでいる玄子(げんし)です。

人は欲望に取り憑かれると心を失ってしまいます。←突然どうした!?

自己正当化をする言い訳ばかりを続けていると終いには
「それをやると私が私じゃなくなる」
超えてはならない一線を超えてしまうことに。←だから、どうしたのさ!?なんかあったの?

このサイトは三国志が好きな人に向けて書いているので、人物の説明や時代背景は割愛いたしまする。
説明しているうちに本題を忘れるのでご了承くだされ。

忠武侯・孔明先生に学ぶ聖なるものの守りかた

三顧の礼に応え、二代に渡って主君に忠義を尽くした孔明先生。
玄徳公に忠義を尽くすのは、納得ですがそのお子、劉禅さんとなるとこれはもう、大変!


周瑜殿が孫策殿亡き後、その友情に応えるべく忠義を尽くした孫権さんはまだいいじゃないですか!
立派に成長して皇帝になったんだから!周瑜殿も安堵したことでしょう。

劉禅さんって、「こいつ無理って思ったら、遠慮なく君が皇帝になってくれ。当然我が子は可愛いが、それ以上に民衆の幸せが大事だから」
って玄徳殿が孔明先生に本音を添えて託したお方。

子龍殿が命懸けで守った時も
「この赤子のせいで子龍を失うところだった!」
ってただでさえ言葉数が少ないのにボソッと衝撃発言だけするから後世の人間に誤解されやすい玄徳殿。

劉禅さんからしたら「わし、父上に思いっきり嫌われてるやん!」っていじけたくなったかもしれません。

が!「陛下はもっと自分に自信を持って!」
「せっかく玄徳様の血を引いているのだから(親の七光りが発動している)今のうちに自らを高めていけば忠臣も見守ってくれるから大丈夫です」
「まずは一生懸命、臣下の話に耳を傾けるだけで彼らは感激して、忠義を尽くしてくれますよ」
って我が子以上に気にかけて皇帝の道を真っ当に歩かせようとしてくれたのは、他でもない孔明先生だったのです!

「皇帝になっていいって言われた丞相があんなにも忠義を尽くされているのだから、(どんなに陛下があんなんでも)我々も見倣わねば!」

将兵の皆様は陛下にってよりも、玄徳公の志を一番継いでいる孔明先生に忠義を尽くしました。

あんなやる気も才能もない陛下から帝位を譲り受けても誰も何も言わないでしょう!
って心の中では思ったことでしょう。
客観的に歴史として判断できる後世の人間でさえそう思うのだから、、、。

そんなある日、思い切って「丞相が帝位についたほうが、世界平和のためにもいいと思います」って進言した人がいました。

きっと、いや、絶対に諸将の中でそういう声が出ていたはず。どうみてもそれが普通かと。
孔明先生もまたそんな空気を察していたのでしょう。

しかぁし!孔明先生は丞相として、ではなくあくまでも諸葛孔明という一人の人間としてはっきりと言いました。

「まだ私は、知己の恩に報いていないから。そういう話は恩義に報いてからっということで」

知己とは、知音と同じ。自分のことを理解してくれる人。親友。
孔明先生がここでいった知己とは、玄徳公のこと。

かつて、周瑜殿が孫策殿の友情に応えるべく、孫権殿を補佐し続けたように、孔明先生も知己として玄徳公への恩義に報いるというのです。
もしかしたら、赤壁の戦いで呉に赴いた時に、周瑜殿とそういう雑談とかしたのかもしれません。って想像するだけで日が暮れる!

そして、この決断こそが孔明先生にとっての「聖なるものの守りかた」でもあったのです。

 

盡亮精神

 

赤壁の戦いで呉へ行った時、孔明先生はその才能を呉の重臣にも注目され
「このまま呉に残って、孫権様を補佐してくれませぬか?」と引き抜きにあいます。

その時に孔明先生が言ったのがこちら

「孫権殿は確かに素晴らしいお方です。存分に私の才能を尽くさせてくれることでしょう。
しかし!玄徳様は亮(私)の全てを尽くさせてくれるお方なのです。故に私は呉へ留まることは出来ませぬ」

亮を尽くすー盡亮

才能だけではなく、全身全霊、細胞の果てまで天下万民のために尽くさせてくれるのが玄徳公だというのです。

死而後已(死して後已む)という覚悟を持って最後の最後まで戦い抜いた孔明先生にとって、ある意味、自分が願った通りの人生だったのかもしれません。

天下を取れるかどうかは、他との兼ね合いもあるので自分で決めることは出来ないけど、盡亮精神こそが孔明先生が望んだ生き方の根幹にあった気がします。

孔明先生が孔明先生たる所以は臣下の分を弁えて忠義を尽くしたから。

過去の栄光を味わいながら余生をゆっくり過ごすことなく、最後の最後まで戦地に生きることを望んだ子龍殿もですが、自分の生き方に信念を持って、貫いて生きるってただならぬこと。

三国志面白い、って次元に慣れたら是非とも、彼らの生き方に学んでみてくだされ。

その時も、レビューや著名人の議論で大好きな英雄が狙われる可能性がありますが、そんなのガン無視で大丈夫です。

自分の中の大好きな三国志英雄に対する聖なる想いだけはしっかりと守ってくださいね!

 

それで、つまりは・・・

 

で。なんだっけ?って本題を忘れていました。

欲望やオイシイ話に目が眩んで、このままじゃ、、、それをやったら自分が自分じゃなくなるかも?くらいのギリギリまで来た時は!

絶対に汚してはならない、聖なるものを守ってください!
聖なるものがなんなのか?は自分と向き合えば分かることです。

孔明先生が臣下の分を弁えたように「これだけは」って一線は大事にして生きましょう!

今回はいつになく熱弁してしまいました。
孔明先生の文霊を現代で活用するのも好きですが、孔明先生の生き方に熱く学ぶのもすっごく好きです!

ご覧の内容はそんな玄子(げんし)が情熱をこめてお伝えしました〜!