学ぶ目的、情熱はありますか?

諸葛流文霊想作家の玄子(げんし)です。

*文霊(あやだま)とは?

時代、時空、国境を越えて読む人の心を動かす力を持っている字には(魂、精神)が宿っているという概念から生まれた玄子の造語です。

孔明先生の文霊はとても奥深く、普通に兵法書として読み流すにはあまりにも、もったいない!
ので!!「現代生活で活用するには?」という私独自の視点と、孔明先生の人柄や魅力を取り入れながらから文霊を想作しています。

ただいま孔明先生著「誡子書」の文霊に学んでいます。

前回の文霊 才須學也 非學無以廣才 の続きからです。

今日の文霊*誡子書7

非志無以成學

志がなければ学を成り立たせることはできない。

学を成り立たせるってどういうことなのか?
このままではまだよく意味が分からない方は
私の心譯を参考に自分なりの解釈をしてみてください。

 

学ぶ目的、情熱はありますか?

 

前回は才能は学びを得てこそ開花する、とお伝えしましたが
今回はその学びを才能に結びつけるには?って話です。

学ばなければ才能は開花できないとはいえ、ただ漠然と学んだだけでは
あっという間に忘れてしまうし、身につきません。
例えば学校ので授業がそんな感じでした(^◇^;)

何となく学んだかも知れない、、、気がしなくもないけど、
え?こんなの学んだっけ???的なことのまぁ、多いこと!!!
英語なんて、PPAPレベル(笑)これはペンです!以上( ̄^ ̄)ゞ的なもんです。

一方で、中国語や古琴のように目的があって学んだことは
自発的に調べたり、工夫したりしながら学んだり、練習したりするので
学ぶことが苦にならず楽しいし、生活の一部となっています。

この違いは何かて言うと、、、志!!!
漠然と学ぶのと、目的があって学ぶのでは心構えからして既に違います。

と言うのを踏まえて

今日の心譯

志がなければ、学んだことを自分の才能として活かすことはできず
上辺だけ学んでも、机上の空論、詭弁、絵に描いた餅になってしまう。

心譯*玄子(げんし)

 

前の記事

才能を開花させるには