遠大な境地は天下三分の計にあり!

諸葛流文霊想作家の玄子(げんし)です。

*文霊(あやだま)とは?

時代、時空、国境を越えて読む人の心を動かす力を持っている字には(魂、精神)が宿っているという概念から生まれた玄子の造語です。

孔明先生の文霊はとても奥深く、普通に兵法書として読み流すにはあまりにも、もったいない!
ので!!「現代生活で活用するには?」という私独自の視点と、孔明先生の人柄や魅力を取り入れながらから文霊を想作しています。

ただいま孔明先生著「誡子書」の文霊に学んでいます。
ここまでの文霊想作はこちらから。
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自分なりの言葉でどう表現するか?考えながら読み進めてくだされ〜。

今日の文霊*誡子書4

非寧靜無以致遠

前回の澹泊明志とセットで有名な孔明先生の座右の銘。
私の文霊想作を手掛かりに、自分なりの解釈をしてみてくださいね。

 

遠大な境地は天下三分の計にあり!

今日のポイントになる単語からチェックしてみましょう!

寧静:心が安らかで落ち着いていること
致:到達
遠:遠大な

これまでに何度も、静けさやブレない安定感を伝える文霊から、
孔明先生は心の落ち着きを大事にされる方だというのがわかります♪

ブレずに心が安定して落ち着いている状態が基本です。

その状態を自分なりにどう表現すれば腑に落ちるのか?
あくまでも自分が「ピーン」と来る言葉を探してくださいね。

私にとっては、人生幹!
(とはいえ、人生幹って言葉も孔明先生の文霊に学びました(^^;;)

寧静な心の状態でなければ、遠大な境地にたどり着くことはできない!
というのが今回の意訳です。

遠大な境地って例えばどんなのかといえば・・・

天下三分の計!!!

これくらい、雄大で壮大な規模で遠い将来まで見通した境地。

乱世で一寸先は闇状態にあっても、一寸先に左右されずもっともっと先を見据えられる寧静な心の状態があればこそ、天下三分の計を実現できたのです。

天下三分の計はもっと前の時代から言われている説だということですが・・・

だから、、、何!?

孔明先生以外、実現していないではござらんか!!!って話です。
どんなに先に言っても行動が伴わないんじゃあ、意味がない。
行動して、実現してこそ意味はあるのです。言うだけタダ!
肝心なのはそこから先です!

なので遠大な志も実現しようと本気で思っていることじゃないと意味がないのです。

故に無闇矢鱈にでかいことを言え!ではありません。
その辺を踏まえた上で流行りやいっときの感情に流されない遠大な境地に行っちゃってください!

私個人的には長期的な計画って苦手です。
なので、普通は遠大は長期的な計画や視点といったところでしょうが・・・

私の場合は上っ面ではない、トコトン追求した奥深さを「致遠」の文霊から想作しました。

と言うことで上記のことを踏まえて私なりに解釈したのが

 

今日の心譯

 

 

精神的に落ち着き、安定した人生幹がなければ
集中して学んだり、深く物事を理解する事はできず
目先の出来事やいっときの感情に翻弄されてしまう。

流行りや感情に流されず上辺だけではない
「この人生で何が何でも、誰がなんと言おうとも」
やらずにはいられない奥深い境地に辿り着こう!

心譯*玄子(げんし)

あくまでも私自身の感性による文霊想作です。
自分に合った文霊想作、してみてくださいね!

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