拗れる前に学ぶ【水魚の交わり】

玄子(げんし)です。

人を信じることに疲れた時、もういいやって信じるのを諦めるか。
その人はその人、この人は信じられるかもしれないって心を開き続けられるか。
意外と難しいですよね。

社交辞令は要らないから!

本音と建前、とか社交辞令とかビジネス的に必要なのはともかく。
プライベートで社交辞令って信頼関係とか、その友達にとっての自分の存在ってそんなもんなの?
ってガッカリしてしまうので私は友達に対して社交辞令は一切言いません。

会話をしている時だけ、その時の雰囲気だけを盛り上げるためにする口約束って何の意味があるのか、謎。

いっときを盛り上げるためだけ?
う〜ん、なんだかなぁ・・・。


実際に実現できないのなら、言い出さないで欲しい。って思います。
以前、友達に会おうと言われたので
私が友達の家の最寄駅まで行くから近くのオススメの喫茶店でお茶しようって話になったのですが
「そこまでされたら申し訳ない」と言いつつ、結局時間が取れなくなったからごめん〜!
ってのが立て続けに三人の友達(それぞれ面識なし)で起きたことがあり

そんなに私に会いたくないですか?(ToT)
って素直に思いました。

特に最後の一人は、東京で用事があったときに会えたのですが帰り際
「来月も来るんでしょ?絶対会おう」と言われたので帰宅後、すぐに彼女と会うのを前提に新幹線とホテルを予約。
したら!!!
「来月、忙しくて無理!!」
って当然のように即答する彼女。
一昨日、来月も会おうって言ったのどこの誰よ?
忙しいなら会おうって言わなくていいのに、、、。

幸い、この時は留学時代の友達と数年ぶりに会えてすっごい楽しい時間を過ごせたので、時間とお金の無駄にはならなかったけど・・・
それは、それとして。

器の小さい私は、「なんだかなぁ」って思うと彼女に会おうと言われても気が進まなくなってしまいました。

それどころか、私は会う価値もない人間なんだろうな〜って思うように、、、。

と言うのも、

元々、コミュ障系だったからかもしれません(^^;

面倒ですね〜とは思うけど、できない約束はしないで欲しいなって思います。

水魚の信頼

人を信じることって無駄?
私ってその程度なんだよね?
って思う反面、どこかで心を開いて信頼できる人を求める心を諦めきれずに持っていました。

些細な言葉のすれ違いで壊れてしまう口先だけの関係ではなく、
問題が起きたときにちゃんと話し合えて互いを尊重して
自分の言いたいことを自分の言葉で言える人。

・・・なんてこの年齢になってから出会えるのだろうか?って思いました。
が!!!

この年齢って42ですが、孔明先生と水魚の交わり宣言をした玄徳殿は47歳!
そう!まだまだ行けます!これからです。
寧ろ年齢なんて関係なく信頼し合う水魚。

って三国志の英雄に学んだ途端、視界が変わりました。

前述した三人以外の友達は、約束は必ず守ってくれる人たちばかり。
ドタキャンや社交辞令はありませんでした。

やなことがあると、どうしてもそっちだけに目がいってしまって
それまで自分を支えてくれた人、約束を守ってくれた人は当然の存在と思っていたことに気がつきました。

大事な宝を捨てるところだった!!危ない、危ない!!!

そんな一大事にやっと気付いたとき、有言実行してくれる、或いは
逐一アピールしないけど不言実行してくれる友達が奇跡に思えて感謝感激感動しました。

長い人生、多くの人との付き合いで自分の存在価値を疑ってしまうような、卑下してしまうような残念な出来事もあるたけど
そんな時こそ、今まで自分を支えてくれた大事な人たちを思うことで信じる力を無駄に奪われずに済むかも。

言ったことを相手が実行してくれるのが当然、ではなく
言ったことを自分が実行するのは当然。

相手が有言実行してくれたら、当然、ではなく感謝。
自分が有言実行するのは当然。

言ったことをしっかり行動に移してくれる人って本当に有難い存在だなと思う今日この頃です。

当たり前のように有言実行してくれる大好きな友達に感謝を込めて、、、

玄子(げんし)