「冷淡」ではない「淡い」友情とは?

三国志作家の玄子(げんし)です。

三国志旅行記はアメブロに綴っていますのでこちらからご覧くだされ〜。

アメブロには出来事を書いているので、こちらでは私の心の声とか気付きとか、内面的なことを綴っています。

人の和のバランス

成都滞在中は友達である道士さんが管理している道観に宿泊させていただきました。

この道士さんは私と同い年。

三国志と古琴が縁で成都留学中に三人の道士さんと知り合い、義兄弟となりました。

私に玄子(げんし)って字を最終的に授けてくれたのは10歳年上の道士さんで、長兄なので大哥と呼んでいます。

私が大哥と一番適当に気が合うのは、道教を押し付けないから。

日々のくだらない、どうでもいい話題を面白おかしく話してくれて、その中にハッと気付かされること、学ぶことがあるので楽しさが尽きない。

気づけば人を常に引き連れている人間磁石、大哥の口癖は「楽しければそれで良し!」

玄徳様もこんな感じだったかも?って思うことがあります。長々と話さないし。

たまに、かなり自由人すぎて困ることもありますが( ̄▽ ̄;)

道教!って意識せずに自然とその世界観と言うか感覚を楽しめます。

さらには私の言葉の行間から気持ちを読み取ってしまうので、何やら不思議な人です。

一方の同い年の道士さんはとっても気遣いできる人!

そこまでしなくていいのに、、、ってくらい繊細な人。

さらには道教を学びなさい!と言わんばかりに今回、沢山宿題を出されましたヽ(;▽;)

この両極端な二人とのバランスが心地いいのかも。

だからこそ、20年近くもずっと変わらず義兄弟でいられるのかも、と。

で、改めて思いました

君子之交淡若水

 

君子の交わりは淡きこと水の如し

ってやつですね!と。

一人の友達だけに全てを求めるのではなく、大事な友達を一人ひとり尊重する。

気に入られようと媚びるのではなく、相手が困っていたら助ける。

淡きこと水の如しって、イメージ的に淡々と冷淡な気さえしますが水は命のお母さん♪

必要な時に、恩着せがましくなく、普通に淡々と相手を助ける。

相手が喜んでくれたら、それでOK。

水が必要なときは、水道をひねるなり、川へ行くなりするように待っているだけではダメ。

自分から動いて水を求める。

助けてもらったら、忘れずに感謝する。

今度、相手が困ったら助けようって淡々と普通に思う。

それが私にとっての

君子の交わりは淡きこと水の如し。

これからの人付き合いの指針にします!

解釈や感じ方は人それぞれ異なると思いますので、自分の心が納得する解釈をしてみてくださいね!

 

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