孔明先生を祀る「武侯祠」の武侯って何!?

諸葛孔明先生に私淑している三国志作家の玄子(げんし)です。

孔明先生を祀る武侯祠。
今日は武侯祠に行ったことはなくても、行ってみたいと思っている前提の記事です。

武侯祠の武侯って何?

何となくは分かるけど、具体的にどういう意味なの?
知りたいのは爵位と諡から由来するっていう前!
孔明先生は武ってよりも智ってイメージなのになんで武?って思ったこと、ないですか?

「ずっと思っていた!」
「気になっていた!」
って方だけ、ここから先へ読み進めてください。

そんなのとっくに知ってまっせ〜!常識〜って方はまた今度!(^^)/~~~

武郷侯と忠武侯

223年。玄徳殿が帝位に就いた年。
孔明先生は武郷侯と呼ばれるようになります。

234年。五丈原から天に還った孔明先生は忠武侯と諡されました。

では、それぞれどんな意味が込められているのか?

漢字一文字ずつ掘り下げて見てみましょう!

 

忠:危難を辞さずに奉仕すること。

武:法を以て治国し、民衆を心服させること。

侯:多くの人に影響を与え、支持される人

 

なんだそうです!!

武の解釈が、武将、武力と言ったイメージとだいぶ違いますね!
法治国家を築いた孔明先生に相応しい「武」だったのです。

 

「武侯祠」は敬意の表れだった!

三国志の時代、面と向かって直接姓名を呼ぶのはこの上なく、無礼で不敬に当たる行為とされていました。

目上の人や年長者への敬意が大事にされていた当時。
では、目上の人や年長者を呼ぶ時は、姓名で呼ばずに、どうやって呼んでいたのか?といえば

字(孔明)や号(臥龍)、官位名(丞相)でした。
※( )内は例として孔明先生です。

また、後世の人間が当時の人を呼ぶ時は爵位と諡を結合させて呼ぶことで、尊敬の念を表していました。

それが 武侯祠 だったのです。

孔明先生のお墓は武侯墓です。

友達である道士さんが「諸葛武侯」と呼ぶのは、職業柄や謙虚な性格からではなく後世の人間としてあるべき、模範的な呼び方だったのです!

ちなみに私は後世の人間としてではなく、三国志の時代に生きているので孔明先生!或いは諸葛丞相と呼んでいます。

日本語では歴史上の人物に敬称をつけないのが正しい日本語とされているようですが、、、
どう呼ぶかは個人の自由ですが、少なくとも敬意のある呼び方はどういうものなのか、知っておいて欲しいなと思ったので今回の記事にしました。

そして出来れば、私と三国志のお話をしたり、コメントをする時は三国志の英雄は呼び捨てではなく、敬称をつけてください!

よろしくお願いします!

今日も三国志なご縁をありがとうございました!