三国志・玄徳殿に学ぶ【帝王学】
三国志作家の玄子(げんし)です。
先日、縁が合って中国の帝王学を体験的に学ばせていただきました。
講義の内容そのものはシェアできないので三国志を通してお伝えすると、帝王学は、玄徳殿の生き方に学びやすいかも。
生まれ育った環境的には魏の曹操、呉の孫権に比べるとかなり不利だった玄徳殿。
それでも、帝位に就いた!
ってのがポイントです。
玄徳殿って旗揚げする前から関羽殿や張飛殿を始め、多くの人に慕われていました。
人徳、、、しかも半端ない、ただならぬ天が与えた人徳と言ってしまえば我ら凡人にはお手上げで、諦めてしまいます。
ので!その人徳ってなんぞや?と一歩深入りしてみます。
その答えは、陳寿が三国志内で教えてくれました。
玄徳殿は、誰に対しても腰が低く、穏やかで優しく寛容に接していました。と。
そう!全てはもうこれ!
相手に対する優しい気遣い、心配りが旗揚げ前からすでに帝王だったのです。
玄徳殿が思う帝王像通りに振る舞っていた、と言うよりは
自然と母上の厳しい教育のもと、誰に対しても心を大事にして接することができていたのです。
20歳も年下の孔明先生に対して三顧の礼を尽くせたのも、玄徳殿の帝王の器が為せる業。
相手の年齢や肩書よりも、その人自身に敬意を示す。
普通は20歳も年下とか、無理だわ〜、玄徳殿だから出来たんでしょ?って感想だけで終わりそうですが、そこで終わったらダメなんですよね(^◇^;)
理屈だけで考えるな!見習え!実生活で実際にやってみなさいって話です。
それが私淑(ししゅく)!!!
玄徳殿は実際に帝王になったし、孔明先生はもちろん帝王を支えるにはどうすべきか?
殷王朝から後漢末期に至るまでの先賢の生き方に見出していました。
そんな三国志の英雄たちの活躍を読んで終わり、歴史上の出来事として虚実云々論を繰り広げるよりも!
心や感情が動いたこと、目頭と魂が熱くなった彼らの生き方に学んで自分の人生に活かす!
その方がずっと楽しいし、飽きないし、死ぬまで三国志です。
これからの三国志は「読む時代」から「私淑する時代」になっていきそうです!
三国志英雄に私淑することに興味のある方、三国志な人生をともに楽しみませんか?
今日も三国志のご縁をありがとうございました!