「三国志、大好き!」って声を大にして言えますか?

「三国志、大好き!」って声を大にして言える人に向けてお届けしてる三国志作家の玄子(げんし)です。

今回は心の叫び的な内容ですので、興味のない方や反感を覚える方はスルーしてください。
言い争う気も議論する気もなく、ただ叫びたい!ってだけなので。

目次

読書百遍するより大事なこと

同じく三国志が縁で知り合っても、三国志への想いに温度差があると、言っていることが上手く伝わらなかったり、理解されないことってよくあります。

例えば読書百遍、とは言いますが三国志が生活の一部になると何度読んだかなんて数えられません。
読んだ回数なんてどうでもイイから。
回数で三国志への想いを図れるものではないし。

それよりだったら、三国志を読んで何を感じたか?何を自分自身の生活に活かせるか?
三国志の英雄たちに何を学んだか?どんな生き方をしたいか?ってことの方が私にとっては大切。

「難しい」の前提は?

三国志は馴染みがないと難しく感じられる人もいるかもしれませんが、三国志が好きって時点で史書や三国演義を始めとする三国志関連の作品や登場人物の名前は難しいって認識にはなりません。

なので私にとって難しいといえば、博物館に保管されるレベルの解読が容易ならない文献や専門家の研究が必要とされる類の記録や史跡のこと。

この「難しい」前提が理解されないと、私にとっての難しいではなく、三国志はとりあえず難しいって捉えられるので話が噛み合わないなって思うことが今まで何度かありました。

また、中国の人にとっての当たり前と日本人にとっての当たり前も当然、異なるので三国志を楽しむなら、ある程度は中国の文化に興味を持った方が何かとお得な気がします。

求める縁は三国志が好きな人!

同じく三国志が好きでも、好きっていう情熱に温度差があると、残念な想いをしてしまうことに。
お互いに「なんか言っていることが違うな」って感じてしまうとギコチナイ感じになってしまいます。

なので、私は三国志が大好き!!!って声を大にして言える人と三国志交流をしたいなって思っています。

私は13歳の時に三国志と再会してあっという間に大好きになりました。
三国志年齢13歳ってことで(^○^)
だから、大好きってほどでもない冷静な気持ちって私には分かりません。

私は段階を経て好きになったわけじゃなく、一気に火がついて、さらに情熱を追求して、底無し状態で好きになって今日に至ります。

だから大好きって情熱をブレずに抱いて三国志と人生を共にする私淑生活の応援は出来ても、大好きになるにはどうするか?とかそこまで好きじゃないから分からないって方の気持ちは、私にも分かりません。

ごめんなさいm(._.)m

三国志と人生を共にしたい!

三国志ってキーワードが縁で知り合っても、三国志に学ぶこと、求めることは人それぞれ。

でも、私のブログでは三国志に私淑する生活を伝えているのでその本質だけは分かって欲しいなって思います。

三国志への思いつきを徒然と綴っているわけではなく、

三国志と人生を共にするには?
私淑三国志しませんか?って想いを声を大にして伝えています。

そんな私の三国志観をご理解いただける方とのご縁、熱烈歓迎いたします!