その時短、本当に乗っていいの?

三国志作家の玄子(げんし)です。

成功している人が勧めているからといって、それが必ずしも自分にも合う、というわけではありません。

対象は自分で決める

例えば、ブログ。

ブログやメルマガはサッサと書いちゃいましょう!ってよく言われます。

ちなみに私は数時間かけて書くことが多いです。

もちろん、他にも時間をかけている方は沢山いるし、時間をかけて書いている方は読者の頭の中を想像して、悩みや要望を解決するような読者目線の素晴らしい内容ばかり。

が!私は違う(⌒-⌒; )

リサーチも何もせず、書きたいことを時間をかけて書いている、きっと一番ダメなパターン。

ダメなパターンって自覚していても、ブログを書くのが好きなのにその時間を短くするのが正しいって、全然楽しくない!!

私にとって、ブログを書く時間を短くするのは、好きなことをする時間を短くしなさい!って言われているようなものです。

時短を心がけるなら、私にとって楽しくない義務的、事務的な心ときめかないものを時短します。

仮にブログにかける時間を削ってその分、自由な時間ができたら何がしたいかといえば、、、多分、ブログを書きたい(笑)

もしくは、三国志の作品を執筆♪どっちみちなんか、似た感じ。

ブログを書くことで、三国志の作品に役立つことがかなりあってリンクするので全然時間の無駄にはなりません。

私は絵も描けないし、動画も苦手。話すのも勘弁。

インスタ写真撮ったりあげたり面倒。

呟くくらいならガッツリ書きたい!のでやっぱりブログです。

ブログは自由に書けるけど、メルマガは緊張して苦手!だからやっぱりブログ。

ってのもありますが、ブログに時間を懸ける最大の理由は三国志を感じられるから。

日本に居ながら三国志を感じられる生場所

三国志は中国。ここは日本。

日本にいると「生きないとダメだよね〜」「まだ生き続けなきゃダメですか」って思うこと多く

三国志の国、成都にいると私はやっと「生きている」「生き続けたい」って思えます。

私にとっての三国志って、そんな存在なのです。

生きるのをやめたくなっても、三国志の英雄たちに救ってもらった命と人生をここで断つわけにはいかない、って自分を説得して今日まで生きています。

誰が嫌とか、社会が〜とか表面的な出来事じゃなく、陸に揚げられた魚状態。

それでいて、生きる葛藤とかストレスとか不安とか限界破裂!!って精神が創作意欲に繋がるから、ま、いっか〜って最近は思えるようになってきました。

そんな私にとって、三国志を表現することは、日本に居ながら唯一、三国志を自発的に感じられる生場所。

水を得た魚!?の在宅版(って何〜(笑:))

水を得た魚の本編は成都でどうぞ、って感じです。

ってことで!

たとえ他の人から見たら時間と情熱をかけるに値しないことでも、自分にとって大事なことなら遠慮なく、正々堂々と時間と情熱を懸けて生きたいですね!

たった一度きりの人生。

何に時間と情熱を懸けて往くのか?
それを決めるのは自分自身です!

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