三国志を「自分の土台」にする方法

玄子(げんし)です。

九層之臺 起於累土
(どんなに高い建物も、最初は土を積み上げていくことから始まる)
老子の教えです。

これって、建物だけではなく自分自身の生き方、在り方、人間力に対しても言えることですよね。

土台となるものは人それぞれですが、三国志に学んだことを土台にしてみませんか?

目次

三国志英雄も自分も、同じ一人の人間

全ての起点となることですが、いうまでもなく三国志の英雄たちも私たちも時代は違えど、同じ一人の人間です。

この「同じ一人の人間」として三国志の英雄たちに謙虚に学べるかどうか、が三国志を自分の土台にできるかどうかの鍵となります。

後世の人間として、上から目線で現代の価値観や、後世の結果論で彼らの生き方を批判、議論の対象とするのか?

同じ一人の人間として、彼らの生き方に学ぶのか?

同じタイミングで三国志と出会っても、その後の人生は全く変わっていきます。

学んで活かして、人生幹にする!

三国志を自分の土台にする上で大切なのは謙虚さ。

三国志英雄たちの生き方、人生、言動に学んで活かし続けることを習慣化することで、自分の土台ー人生幹にすることができます。

そのためには、批判、議論の対象としてではなく、三国志の英雄たちに謙虚に学ぶ姿勢は必須です!

、、、というか、本当に純粋に好きだったら謙虚になろうって思わなくても自然と敬意と好意を抱くので難しく考える必要なないですよ!

純粋に好きって想いを、他の人の意見やレビューに惑わされずに貫く、時空を超えた情熱さえあれば、没問題です!

虚実云々議論や、上から目線で英雄たちの生き方を批判することが正しい、かのように思われがちな昨今。

純粋に三国志が好きな人、三国志英雄たちの生き方に目頭と魂が熱くなる人が、そんな流れに負けて三国志との縁を絶ってしまわぬよう、私の情熱をぶちまけていますので、負けてしまいそうになったら、いつでもこのブログに来て傷を癒していってくださいね!

史実派でも、演義派でもない!私淑派!!

三国志と出会った切っ掛けや、出会った時の自分の状況、心境って人それぞれ。

当然、三国志英雄たちへの想いや、感じたこと、感情も人それぞれ。

それって、生きている証しですよね、自分も、英雄(かれら)も。

それなのに、大好きな英雄を批判されて、否定されて、粗探しされて、嬉しいですか?

私は嬉しくも楽しくもないので、史実と演義の境界線を争う三国志の世界とは一線を画しています。

正史派でも、演義派でもありません。

じゃあ、何ですか?といえば

ズバリ私淑(ししゅく)派です。

私淑(ししゅく)で育てる人生幹

私淑とは、大好きな三国志の英雄を人生の師として敬意を払い、その生き方や、言動に謙虚に学んで、自分の生活で活用することです

自分なりに学んだことをどう実践、活用するか?が私淑の最大の目的。
私淑することで、三国志英雄の粗探しや揚げ足取りをする世界から脱却できます。

人生幹は、人生の土台。
一朝一夕に樹立されるものではないので、私淑することを自分の中で自然と習慣化して、学び続け、活用し続けることが必須!

そうなると、どうなるか?

気付いたら、人生を共にしている!
気付いたら、大好きな英雄に学んだことが人生幹になっていた!!!

ってことに!

私もまだまだ、私淑生活序の口!ですが飽きることなく学べて、自分の生活に活用できて、孔明先生や玄徳殿の存在を身近に感じ続けることができる、、、実に幸せです!!!\( ˆoˆ )/

そんな幸せ溢れる私淑生活で、自分の土台を築いて生きませんか?