三国志の英雄が「好き」だけで終わらせていませんか?
玄子(げんし)です。
このブログをご覧くださっている方は、三国志が好き、とか興味があるって方だと思います。
同じく三国志が好きでも、好きな英雄って違うし
同じ人が好きでも、「ここが好き」って惹かれポイントって違いますよね。
私が大事にしているのは、どれが、誰が正しい、とか、虚実云々ではなく
大好きな三国志の英雄に何を学んで、学んだことをどう実生活に活かしているか?
目次
自分にとっての人生の師を持とう!
メンターを持つことで自分自身を高められると言われていますが、孔明先生も先賢を慕って学ぶことを推奨しています。
ポイントは、「慕う」
ここでの意味は、学問、人徳などを尊敬してこれに習おうとすること。
一挙手一投足を上から目線で検証して議論し、どれだけ知識が深いかを競ったり、重箱の隅をつつくように不遜な態度で落ち度を探し、鬼の首を取ったように、その人の名声や人望を地に貶めることではありません。
なので、人生の師を持つ、ということは歴史上の人物が好きってのと少し違います。
目的は史実を追及する事ではなく、時空を超えた情熱を追求する事なのです。
私淑(ししゅく)しよう!
そこで!オススメしたいのが私淑生活!
私淑とは、直接教えを請うことができない尊敬する人を師と仰いでその学問や人格に学ぶことです。
時代が違うから意味がない?
歴史上の人物を人生の師、メンターにしましょう!私淑生活を満喫しましょう!っていうと
●時代が違うから意味がない
●時代が違うから活用できない
●時代が違うから根本的に違う
って反論されます。
が!それは学んでいないから。
上辺だけ読んで感想だけで終わらせているから。ってだけです。
三国志を読んで終わるだけの人もいれば、私のように三国志を読んで中国まで留学してしまう人もいます。
違いは何かっていうと、好きの力。情熱。
時代が違っても同じ一人の人間っていう根幹が同じなら、自分の学び方次第でいくらでも活用できるのです!
時代が違うからって言い訳をするよりも、時代の違いを超えて、自分の生活でどう活用していくか?考えてみましょう!
学んで経験したことは人生幹になる!
学んだことを実生活で行動に移すことにより、それは経験になります。
その経験はやがて人生幹になり、その積み重ねはいつしか、枝や葉が伸びるように可能性として広がっていきます。
でも当然ながら、幹は一朝一夕にしてできるものじゃないし、枝や葉を伸ばすことだけ、小手先の技術や目作の利益に気を取られてしまっては幹は倒れてしまいます。
だからこそ、学んで活かして経験したことがすぐに目に見える結果や進歩に繋がらなくても、焦らない。
結果や進歩が目に見えなくても、学び得たことが損なわれることはありません。
私淑ステップ1
今年もあと半月ほどあります。
新年になって慌ててやること、やるべきことを決めるよりも今から助走をつけておきましょう!
ってことで。私淑生活のワークはこちら!