三国志英雄に学ぶ!置かれた場所が死地だったら?
玄子(げんし)です。
春からベランダに置いていたパキラを部屋の中に入れました。
結構、大きくなったので外の方がのびのびして良さそうな気もしますが、確かこの子、寒いのが苦手だったな〜と思い出し移動させました。
置かれた場所で咲きなさいって考え方もあるけど、やっぱり生きられる環境じゃないと置かれても困りますよね(^◇^;)
置かれるよりも自分で選ぶ勇気
置かれる場所で咲きなさいって本がありましたが、個人的には「咲きなさい」って命令されるのはなんか違うかなって感じます。
命令されると、「やだ!」って反発したくなる性格だからなのかもしれませんが、、、。
寒さに弱いのに真冬のベランダや、吹雪の庭に出されてしまったら咲ける花も咲かずに終わってしまいます。
なので、植物を育てるときは「育て方」をみて耐寒性や暑さ対策を踏まえた上で最適な場所を提供します。
なのに!人は自分で動けるのに、意思があるのに、置かれた場所で最善を尽くすことで笑顔の花は、、、咲くのか!?
今置かれている環境だけが全てじゃない、と思うからこそ頑張れることっていっぱいあります。
客観的には良さそうな場所、環境でも本人にとっては居心地が悪く精神的に孤独な戦いを強いられることも多々あります。
でもそこで弱音を吐いたら「選んだのはあなたでしょ」とか「せっかく苦労して手にしたんだから」「それはワガママ」「他の人を見てみなさい!」とか言われるから余計に辛くなってしまいます。
植物でさえも、咲く場所を選んでいます。
だったら、なおさら!
置かれた場所で咲く努力をするよりも、自分の花を咲かせられる場所を自力で探して選ぶ勇気の方が大切なのではないでしょうか?
三国志英雄は死地に置かれてどうした?
黄巾の乱がきっかけで旗揚げした玄徳殿、関羽殿、張飛殿は命をかけて功績を挙げましたが、その恩賞は微々たるもの。
それでも、「朝廷が与えてくれた仕事だから」と文句を言わずに励む玄徳殿。
そんな玄徳殿は領民たちに大人気!ここから玄徳殿の人徳が徐々に光り出します。
これが、置かれた場所で咲いている状態。
ですが、そこに督郵(官職名)が現れます。
彼は、玄徳殿たちに賄賂を要求。
玄徳殿は「そんな無駄なお金はありません」と断りました。
「今の役職を失ってもいいのか!」
怒っ督郵は村人に玄徳殿の悪い噂を聞き込みしますが、
「あんな素晴らしいお方、今まで見たことがありません!」
「玄徳様には感謝しかありません!」
愚痴や不満をこぼす人は一人もいませんでした。
そこで督郵は村人を脅し、無理やり玄徳殿の悪口を書かせました。
内容は全て督郵がでっち上げ、それを村人が泣きながら書かされている状態でした。
それを知った張飛殿は督郵をボコボコにする、、、のは三国演義ですが、実際には玄徳殿が鞭打ってます。
喜怒哀楽の情をださず、寡黙な玄徳殿が怒りを露わにした理由はたった一つ。
督郵が領民を虐げたから。
「こんなことをして、どうなってもいいのか!」と騒ぐ督郵を横目に、関羽殿は言います。
枳棘非鸞鳳所棲!
荊棘(いばら)や枳(からたち)のように棘のある木の中には良い鳳凰(とり)は住みません。
我々もまた、住むべき場所を間違えたのです!!!
それを聞いた玄徳殿は深く頷き
私もそう感じていたが、若さに任せた行動で迷惑をかけるのではないかと、それだけが心配だった
と本音を吐露し、3人は泣きながら引き留める領民に別れを告げると馬に乗って立ち去ってしまいました。
置かれた場所で咲いていたように見えた玄徳殿も、その実は耐えていたのです。
もし、ずっと玄徳殿がここで耐え続けていたらどうなったでしょう?
趙雲殿にも会えず、群雄と膝を交えたり、矛先を交えて叩き上げの強さを手に入れることなく、孔明先生に会えることもなく髀肉を嘆いたまま、人生を終わらせていたのです。
そう考えると、、、、
怖〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!
彼らの人生も、中国の歴史も変わっていたし、私も今日まで生きられませんでした。
年齢に関係なく、人生まだまだこれから!
私の人生、こんなもんじゃない!!って方は無理に死地(生き延びられる見込みのない危険な場所)で頑張るよりも、自分が納得できる自分の居場所を見つけるなり、自分で作るなりして才能や笑顔の花を咲かせて、生きた甲斐のある人生を送ってくださいね!