三国志の英雄が窮地でもブレない理由とは?

玄子(げんし)です。

三国志の魅力は沢山ありすぎますが
その1つが、窮地に陥っても相手を思いやれる強さ

が!これはあくまでも私自身が
イジメという生き地獄に耐えながら三国志の英雄たちに
救われたからこそ感じ入ることなので

三国志を読んでもそんなこと、書いていない!
精々で三国演義の話だって人とは分かり合えないので
三国志の英雄たちと人生を楽しむ自由をご理解頂ける方だけ
お付き合い願います♪(o^^o)

目次

逆境の時に解るのは自分?相手?

自分が辛い時、失敗した時、ピンチに遭った時
誰が助けてくれて、誰が手のひらを返したか?

自分と相手とのこれまで培ってきたものが
何だったのか、考えさせられたり、感激したりします。

でも。この時に見限ったり、距離を取った人がいても
責められませんよね。

なぜなら、、、窮地に陥ってそれまでのような
心の余裕がなくなってしまったら
「これがこの人の本当の姿なんだ」って認識されるから。

 

それまでどんなに素晴らしいことを言っていても、、、

たとえば、普段はこれくらい心の余裕があると

「相手が誰でも平等に接する」

「見返りを求めない」

「どんなことも経験。
辛いことにさえ感謝できないと!」

って言われていても、いざ、その人が窮地に陥ると

「こんな大変な思いしているのに何で助けてくれないんだ!?」

「あの時、あんなに面倒見てやったのに!」

「何で自分だけこんな目に遭わなきゃいけないの!?」

とかとか。

その人の本性が剥き出しになってしまいます。

たとえば、こんな状況だったら、どうしますか?

絶体絶命のピンチ!でも自分だけなら逃げられそう?

三国志の玄德殿は、居城こそ持たないものの、
将兵と民衆には絶大な人気がありました。

人徳の代名詞的存在の玄德殿は
将兵も民衆も同じ一人の人間、1つの命として大事にしていました。

そんな玄德殿だからこそ、孔明先生は三顧の礼に応えて
天下三分の計を共に実現すべく出廬したのですが

孔明先生が仕えて間もなく、魏の曹操軍が
大軍を率いて攻めてきました。

この当時、荊州を治めていた太守はサッサと降参してしまいましたが
玄德殿は、律儀に先代の太守である劉表のお墓参りをし
「荊州を守れず申し訳ない」と謝り、南下しました。

これをみていた荊州の領民や、将兵は心打たれ
「曹操軍に降参するくらいなら、命の危険があっても
玄德様について行く!!!」と決断し、自主的に荊州を後にし
玄德軍と行動を共にしました。

将兵だけなら、問題はなかったのですが
家財道具を抱えた領民を守りながらの南下。

当然、あっという間に曹操軍に追いつかれます。

 

そんな状況下で何とか玄德殿だけでも生き延びてもらわねば、と感じた
諸将は「玄德様だけでも先にお逃げください。我々は領民を護りながら行きますので」と
進言しました。

すると玄德殿はこのように返しています。

人を以て国と為す。彼らを見捨てられるはずがない!

国というのは、彼ら領民がいてこそ初めて存在するもの。
その国の本となる領民が自分を信じて苦難を共にしてくれているのに
彼らを見捨てて自分だけ生き延びることなんて出来ない!

 

普段は寡黙な玄德殿。
ここぞって時に、人々の心を鷲掴みにする痺れ台詞を投下するのです!

が。玄德殿にとっては当然のこと。

そんな玄德殿に人々はさらに命を懸けてついて行こう!と思うのでした。

そして、何よりもこの時の玄德殿判断が
孔明先生が単身、呉国へ乗り込んで同盟を成功させる上で
何よりも大きな援護射撃となるのです。

 

孔明先生自身も、玄德殿のこの言動があったからこそ
自信を持って単身乗り込めたのです。

流石は水魚の二人、、、。

玄德殿が窮地でもブレない理由

生きるか、死ぬかって窮地で
自分だけは何とか助かるって道が開けた時

自分を慕ってくれている人たち皆と歩く道以外はないって断言して
犠牲を払いながらも、しっかりと、領民達と逃げ切り、生き延びた玄德殿。

でも、玄德殿にとっては普通だったのですが
なぜ、あんなに大変な状況下でもブレなかったのか?

その答えは、孔明先生が教えてくれているのですが

それは、【本】(もと)となるものがあるから。

玄德殿は人を大事にすることを本にしていました。

自分軸とか、そういう次元ではなく
自分自身が存在する本、みたいなもんです。

そしてそれこそが

全ての根幹となる人生幹

何が遭ってもブレることなく
自分を支える基盤でもあり、
全ての始まり、根幹となるもの、人生幹。

自分にとっての本、根幹となるものがあれば
玄德殿や孔明先生を始めとする三国志英雄たちのようにブレることはありません。

ただ、この人生幹はすぐに築けるものでもないし
「これだ!」って思いつきで気付けるものでもありません。

秋の夜長、たまには今までの自分の人生を支えてきた
根幹は何なのか?向き合ってみるのもまた一興。

誰かや何かのせいにしたり、人目を気にしたものではなく
何が遭っても揺るぎない人生幹を根付かせて
どんな状況でもブレない自分として生きたいですね!

今日もお付き合いいただきありがとうございました〜!