縁に恵まれるだけじゃ意味がない!本当の縁とは?
玄子(げんし)です。
今日もご縁をありがとうございます!
袖触れ合うも多生の縁、
これも何かの縁、
この縁を機にーって今でも使われる言葉ですが
中国語では縁分と書きます。
今日は日常的に使われる『縁』に学びます。
目次
縁だけで終わらせていませんか?
私に玄子って字をくれた道士さんに
「ただ単に知る、出会うだけでは
『縁』があっても
『分』がないから
本当の縁分とはいわない」
と教えられたことがあります。
縁だけじゃ本当に縁じゃない?
この時点ですでに玄妙な世界ですが
―縁分
本当の縁とは何ぞや!?
何をどうすれば分なのか?
道士さん曰「それは―」
意外と、縁だけで終わっている人が多いかもしれない
縁の内訳!?
教科書的な説明は難しいので具体的にどんな感じなのか
私の三国志な人生を通してお伝えしますね。
三国志と縁分(えん)がある状態とは?
たとえば何らかの「縁」により
偶然『三国志の英雄』と知り合いました。
ここまでが縁。
でも、『分』がないから
本当の縁分ではありません。
ただ、知っただけ。
ただ本を読んだだけ、テレビを見ただけ。
次に
三国志に魅了され、居ても立っても居られず
・中国へ行く
・中国語を勉強する
・ブログを書く等など
何らかの行動を起こして
気が付けば
三国志を知る前の自分よりも
成長している自分がそこにはいました。
この状態になって初めて
三国志と縁分(えん)があると言えるのだそうです。
何となくでも伝わればよいのですが
なかなか難しい(-_-;)
ただ単に追求するのではなく、自分自身が
縁の合ったものによって成長し、高められてこそ本当の縁なのです。
縁から縁分へ
縁と縁分の違いをお伝えするためにもう一つ、私自身の例をあげると
孔明先生の影響で古琴という楽器を知った。
これは「縁」
で、実際に古琴の先生に師事して←『分』
弾けるようになった。
これが「縁分」。
縁があって知り合った人や事物を
『師』を通して自分の中で広め、
向上させることで
初めて縁分となる・・・・・・。
ただ!
この導いてくれる『師』がポイントになるらしいのですが
この『師』の解釈も
自分自身が行動に移すことであったり
知識や技術を教えてくれる人であったり
一筋縄では行きません。
師は、誰かのレビューではなく、
自分自身の感性と価値観を基準に選んでくださいね!
縁を活かすも枯らすも自分次第
*今回のまとめ*
「いいな」と思ったことをそのままにしないで
何らかの行動に移さなければ本当の縁分(えん)は生まれません。
縁は「きっかけ」に過ぎないので
その後
自分の意思でどうするかによって
そのまま終わるのか
縁分となるのか
決められていきます。
縁を考えるな!感じろ!!
ここまで読んで、
縁(切っ掛け)を本当の縁分(えん)にするのって
人任せではダメなんだなってことがお分かり頂けたかと思います。
で、それは言い換えれば、価値観が合わない、
自分がイヤになる、疲れる、精神的に苦痛を感じるなら
「縁は大事にしないと、、、」って無理をする必要はありません。
だって、、、何だかんだいって、自分の心身の健康って
自分で守るしかないし
心身の健康を損なってしまったら、成長なんて出来ません。
引き寄せたことに無理に学びを見出して
自責の念に駆られるよりも
大事にしたい縁かどうか、心の声を聴いてくださいね。
三国志との縁を縁分にするオススメ方法
そして!!!三国志の英雄たちとの縁を縁分にしたいなら
やっぱり、私淑(ししゅく)がいいかも♪\(^o^)/
私淑することで自分自身を高められるし、成長出来る。
そんな時空を越えた縁分(えん)を
人生の幹として育てられたら、素敵ですよね!
↑樹齢1700年以上もある武侯墓の木。
時空を越えた三国志英雄との縁を切っ掛けにして、
自分自身を成長させ
学んだことを人生の幹にする。
そんな三国志道もまた一興にございまする〜。
私のブログはあくまでもご縁をお届けするもの。
そこから、何かを感じ取って貰えたり気付いて貰えたら嬉しいです。
今日もお付き合いいただきありがとうございました〜!