和光同塵だけでは終わらせない☆彡孔明先生が教える【才能を鼻にかけない謙虚な生き方】
玄子(げんし)です。
私は中国文化が好きなので、精神力を充電する時は
欧米系の自己啓発ものよりも、中国古典を読んでいます。
カタカナで名前が書かれた人よりも
老子や孔子、孫子、の方が名前も知っていて馴染み深いし
三国志の英雄たちも学んで活用していたので親近感あるんですよね〜。
目次
私淑(ししゅく)のススメ
私淑って聴いたことありますか?
直接会って教えを請うことが出来ない
敬慕する人を師と仰いで
その人の生き方や学問、人柄に学ぶこと、です。
これは孟子の教えですが、孔明先生も
「慕先賢」(先賢を慕って学びなさい)と、その著書で遺しています。
私自身は三国志の英雄たち、特に諸葛孔明先生を人生の師と仰いで私淑しているので
とっても腑に落ちるのですが、意外と分かり合える人っていません(^_^;
とりあえず、何となく、敬慕しているってほどでもないけど
有名だから、一流っぽいから、ビジネス書とかに出てくるから
って理由だけで、その「人」の根幹にではなく、小手先の枝や葉を伸ばすことだけに
躍起になってしまうと、ビジネスを一時的に成功させることは出来ても
「人」として大事なものが置き去りにされてしまいます。
そうならないためにも、私は歴史上の人物とじっくり向き合って
自分自身を成長させる私淑を勧めています。
やっぱり「これ系」
ここ最近、ちょっと充電切れ〜
精神栄養剤ないかな?と思い書店へ行ってきました。
今をときめくカタカタ系の自己啓発本を手に取りましたが
(カタカナ系とか言っている時点ですでにもう(^_^;)
無理!!!心に響きませんでした。
言っていることは解るし、そうだよね、と共感するけど
でも、ワクワクしませんでした。
本との出会いも縁とか、波長ってありますよね。
「なんかないのぉ〜〜〜〜?」
って歩き回って疲れたのでしゃがんだら、、、
「あった!!!!」
書店の棚の、一番下の段ってしゃがまないと視界に入ってこないから、
偶然の出会い率は低いですが、今回はその偶然の出会いがありました。
今回出会ったのは中国古典「一日一話」って本。
やっぱり、これ系なんですよね、気付けば買っちゃうのって。
和光同塵
今日の中国古典は和光同塵。
本文ではビジネスでの使い方として書かれていましたが
私が求めるのは、人として人間力を高めるため。
なので。孔明先生に学んだことをベースに
私の解釈でお届けします♪
書物では
「才能は過剰に見せるな」「才能や能力をあまり表に出すな」と紹介されており
辞書の意味も「すぐれた才能を隠して、俗世間に交わること」だと伝えています。
才能を鼻にかけず、謙虚に普通に振る舞いなさいってことです。
諸葛流「和光同塵」
和光同塵。孔明先生の教えでは、こうなります!
時間を懸けて手に入れたその才能は
装飾品として自慢するためのものなのか?
命ある限り、トコトン活用し、実践で役立てるものなのか?
見せるとか、隠すとか以前に!
才能って活用してなんぼのもんです。
孔明先生自身、その才能を鼻にかけることなく
全身全霊を以て細胞の果てまで尽くしきりました。
孔明先生は「こんなの普通です」って思っていても
その才能と人柄は隠しきれないから、
どうしてもやっぱり、信頼されるし、慕われます。
そうなると必然的に、やっかみも生じます。
本人がどんなに和光同塵を心がけていても
周りの反応はコントロールできません。
和光同塵に拘るよりも大事なこと
和光同塵をモットーに控えめにしていても、
才能は活用してなんぼ。
だから、自分に出来ることをやっただけなのに
何か目立ってしまった!?ってこともありますよね。
そんな自分を責めてさらに和光同塵を心がけるのも良いですが
私的には孔明先生の教えが人間っぽくって好きです。
「才能が認められ、重用されても有頂天になるな。
功績を挙げたり、才能を発揮することで
心ない誹謗中傷を受けたり、
反感を買ったりして確かに心は痛むだろうが
不安で怖くなってしまうだろうが、、、
↑心の痛みを分かってくれるのが孔明先生の凄いとこ!
、、、気にするな。
人生そんなに長くないのだから。
それよりも、今やるべきは何なのか?
取るに足らない情に流されて、
時間と才能を無駄にしてはならない」
才能をひけらかさないのは当然、
大切なのは、才能をどう活用するか?
和光同塵の本質は、才能を鼻にかけない謙虚さ。
どんなに素晴らしい才能があっても、謙虚でいることが大切です。
でも、それでも、何だかんだ言ってくる人はいます。
そうなった時に、才能を暴走させたり、廃棄したりせずに
自分が今やるべきこと、できることをやる。
その強さこそが、一人の人間として大事な気がします。
諸葛流☆彡和光同塵のポイント
●才能を鼻にかけない謙虚さを身につけよう!
●才能は自慢するものではなく、活用するもの!
●謙虚にしているのに、何だかんだ言われたら?
→それを理由に諦めない!
謙虚さは時代遅れ、美徳じゃないって人もいるけど
時代遅れだから謙虚さは必要ない、とか
美徳だから謙虚にしとくかって話ではなく
いつの時代も、謙虚な人ほど必要とされている気がします♪
こんな時代だからこそ、謙虚に生きたいですね☆彡