「三顧の礼」の中国語は「三顧之禮」ではない!?

「三顧の礼」の中国語は
「三顧之禮」ではない!?
孔明先生の回し者@玄子(げんし)です。
「三顧の礼」の中国語は?
玄徳公が誠意を尽くして三度も
孔明先生を訪ねた三顧の礼。
中国語だったら「の」を「之」にすれば
いいような気がする・・・
かもしれませんが!!
三顧の礼の中国語は
三顧茅廬/三顾茅庐
繁体字/簡体字
↑古代漢字(´∀`)”三”以外わからん
意味は「三顧の礼」です。
「三顧の礼」影の功労者とは?
20歳も年下の孔明先生の廬を訪ねて
自ら足を運んだ玄徳公。
孔明先生はその誠意に感激し
「この方のためなら」と
出廬したのですが
玄徳公は当初、
他の権力者同様、自分で足を運ぶ発想は
そんなにありませんでした。
玄徳公は孔明先生の親友である元直殿に
「君が連れてきてくれないか?」と打診。
すると元直殿は
「とんでもない!!
あいつは簡単に会えても
簡単に仲間になってくれる男ではありません。
殿自らがあいつの廬を訪ねてください。
あいつの住所はー」
あくまでも賢者への
誠意を尽くすよう
玄徳公に伝えると
「わかった!!」
嫌な顔ひとつせず
「賢者を迎える当然の心構えを教えてもらった」
とばかりに快諾すると
自ら足を運んで孔明先生の廬を訪ねたのです。
孔明先生を動かすのは
権力でも財力でもなく
「心」だということを
親友の元直殿は知っていたからこそ
「玄徳様の元でなら
臥龍は天を駆け巡ることができる!」と
判断して玄徳公と孔明先生
そして中国の歴史を動かしたのでした。
ってことで!
個人的に元直殿の功績って
とっても大きいと改めて思った
三顧の礼でした!
そんな経緯もこれまでに
玄徳公がどんな人なのか?
理解も必要なので
三国志はやっぱり三顧の礼」からではなく
「桃園結義」から読むことを
改めてお勧めします!!