この命、爆発させたい!(4)〜生き続けたい人生とは〜

中学を卒業しても、孔明先生への尊敬愛を卒業することはなかった。

中学を生きて卒業した私は「修学旅行先が中国」という動機だけで受験した高校に入学。

神様にお礼を言えというのなら、このタイミングである。

「中国に行かずには死ねない!」と心中密かに願っていたことが、

十六歳にして実現できたのだから。

 

いじめの被害者は犯罪者ではない!

入学した高校は、私を中国に行かせるために存在していたんじゃないか
と思えるほど、様々な条件が合致していた。

私が高校を卒業して数年後に修学旅行先は変わり、
さらにその数年後、母校は閉校したので、
私が入学するのを待っていたのだろうとさえ思う、太々しさ。

イジメられていたからと言って、
その後の人生に対して卑屈になる必要はない。

犯罪を犯したわけではないのだから。

耐えた分だけ、正々堂々、遠慮なく、
生きた甲斐のある人生を十割増で送るだけである。

イジメもトキメキもないまま、
真面目な高校生活一年目は無難に過ぎたが、
二年に進級する直前、人生を変える大事件が起こった。

何があったのかといえば、修学旅行があったのだ。

電光石火の一目惚れ

実際に中国へ行くまでは、机上の空論どころか、
机上の空想止まりで、日常生活の延長の中に中国を想像していた。

三国志跡はあれど、現代の中国と三国志をどこかで分離させていた気もする。

だが、遣隋使や遣唐使に倣って船で三日間の航路を経て中国大陸へ上陸し、
地平線を目の当たりにした瞬間、それは起きた。

それは、人生、一度きりの「電光石火の一目惚れ」だった。

自分のそれまでが、健気に命を繋いできたその日までの全てが、
一粒の砂と化して、宇宙の果てまでぶっ飛んだ瞬間だった。

「この雄大な大地を相手に孔明先生はー」

地平線越しに伝わってくる、三国志の国に於ける、
孔明先生の存在と偉大さを前に、
言語を司どる左脳が反応するよりも早く、魂が跪いた。

「私、この国で生活する」

それは、予言でも啓示でもなく、根拠のない予定の確信だった。

「今日まで生きていて、本当に良かった!」

大地に柔らかい春雨が降り注いで苗を育てるように、
私の命と人生が認められ、祝福された瞬間だった。

どんなに辛いことがあっても、
生きていて良かったと思える瞬間があるからこそ、
感動があるからこそ、
私は生きようと思えるのだと、
生きているのだと、私なりの生きる意味を悟った。

現実の壁

「念願の中国へ行けたのだから、
しっかりと現実的に進学を考えなさい」

地平線越しに孔明先生の存在を魂で感じた時から、
いかにして中国語を学ぶか?
中国と関わるか?
それだけを現実的に考えるようになった。

「これからの時代は、中国語を話せた方が就職にも有利ですよ」

中国語を学べる大学や専門学校のパンフレットを収集したり、
説明会へ行って話を聞いたりするたびに、
高校を卒業すれば、
やりたいことが無条件にできる、学べる!
と思い込んでいた希望は、失望に変わった。

私が求めたのは、世間体に沿った生き方や、
社会貢献をする人材になること前提ではなく、
私が自分の人生を、自分のために生きる道だった。

「大学を休学して留学する人も沢山いるから、大丈夫ですよ」

少なくとも、私が望むような
トコトンどっぷり中国文化に浸って学べる大学も、
専門学校も当時は見つからなかった。

どんな法則を使おうが、
祈ろうが人生は思い通りにはいかないのが現実。

だが、大切なのは、
思い通りにいかない現実を受け入れて、どうするか?

あの世の前にこの世!

誰も行ったことがないので、
実際はどうなのか知らないし、
確かめようもないが

「あの世では言葉の壁はないから、
中国語にそこまで拘る必要はない」

と言われたこともある。

だが、あの世に行く前に、この世である。
この世で、如何に生きるか。

現地の文化や三国志の時代の常識を知らずに、
日本語に翻訳された机上の知識だけを冥土の土産として旅立ち、
孔明先生に謁見を申し入れたところで、
門前払いをされるのは火を見るよりも明らかである。

何しろ、あの玄徳公でさえ「三顧の礼」を尽くした相手なのだ。

自ら進んで中国語を学ぼうとせず、
人間力を深めようとせず、
後世の人間なのだから、
言葉さえ通じれば何を言っても
許されるだろうとばかりに、

常識も教養もない
一方的な思いだけを振りかざす
異国の民に会ってくれる偉人は、
いるだろうか?

私が拝顔の栄を賜りたい相手は「天下三分の計」を実現させ、
歴史を動かした諸葛孔明先生である。

あの世で孔明先生が会ってくれる人間になるには、
中国語と中国文化を常識レベルで纏っていなければならないと信じて疑わず。

そんな本音剥き出しの生き方や価値観を解ってくれる人も、
相談できる人もいなかったが、
人生の岐路に立たされた十八歳の私なりに、
精一杯、本気に真剣に情熱を傾けて考えた結果

「日本では無理。でも、日本だけが全てではない」
という思考回路を経て、高校卒業後、
三国志の国へ留学することにした。

人生設計で人生を縛るな!

当然、私の独断は容易に賛同されるわけもなく、猛反対された。

特に父は青筋を立てながら、
事あるごとに不機嫌爆弾を撒き散らしたが、
父のいっときの感情を宥めて、
丸く収めるためだけに私の人生を諦めることは出来なかった。

私の中では、この時点で既に離陸した飛行機状態だった。

誰が何を言おうが、何が何でも、中国へ留学する選択肢以外なかった。

父は、母との結婚当初から描いていた人生設計に反するとブチ切れたが、
私の人生まで父に設計するよう頼んだ覚えはない。
父は父、私は私の人生である。

父にどんなに反対されても、
罵声をぶっかけられても、
私の予定は決定。

揺るぐことはなかった。

「生き続けたい」と思える人生を!

ここで中国へ留学しなければ、
私は私ではなくなってしまう。

このまま日本にいては、
せっかく見つけた生きている価値を失ってしまう、
という不安と焦りが、
父の反対に煽られて日々、大きくなっていった。

私が最優先させたのは私自身が
この人生でいかに「生き続けたい」と思えるか。

先々の世間体や就職のことよりも、
今、この時、この瞬間をどう生きるか?

だった。

たとえば真冬の寒さで凍え死にそうな時に

「この後、数ヶ月もすれば夏になって暑くなるから大丈夫」
と言われても、それまでに生き続けられなければ元も子もない。

それくらい、私にとって中国へ留学することは必須であり、必至だった。

結局、私の人生を決める一大事は、最終的に母が

「本人の人生なんだから。後であの時行っていればって言われても責任を負えないでしょ?」

父を説得してくれたことで、決着した。

 

留学は過去の遺物なのか?

 

仮にこの当時からネットが普及していたら、
私には不利な中国関連の情報ばかりが氾濫するネット社会。

留学の実現は更なる困難を極めたであろうことは容易に想像できる。

また、ネット上で気軽にプロから学ぶことができる今の時代、
留学は過去の遺物だという著名人もいるが、

果たして本当にそうだろうか?

ちなみにこの留学不要説を唱えた本人は、留学を経験していない。

確かに、知識だけを学ぶのであればネットで十分である。

留学をしたことに胡座をかき、
怠惰な生活を送る人よりも、
日本にいても真剣に真面目に自主的にネットで学んだ人の方が、
お金をかけずに高いレベルの知識や技術を手に入れることができる。

この点では賛同できる。

だが! 人生、そんなにつまらないものではない。

留学しなければ得られないものも確実に存在する。

それは、どんなにネットを駆使しても、
お金を払っても得られないもの。

生きていることの喜びや幸福感を与えてくれる、
好きなことを追求するからこそ得ることのできる
「出会いと体験」である。

人生と情熱を懸けるに値する生き甲斐とは?

尤も、留学不要説を唱えられても、
それに負けないくらいの情熱がなければ態々お金と時間を懸けて、
危険を冒してまで海外へ行く必要はない。

好きなことへの情熱が中途半端な自分への説得材料として
有り難く受け入れるべきである。

なぜなら、留学不要説を唱える著名人は、
あくまでも自身の見解と意見を述べただけであり、
その意見に従ったからといって誉めてくれるわけでもないし、
後年、やっぱり留学しておけばよかったと恨んでも
責任を取ってくれるわけでもないのだから。

人生と情熱を懸けるに値する生き甲斐とは、
依存するものでも、
逐一誰かに自慢、披露するようなブランドものでもない。

ただただ純粋に生き場を求めて命に直結する、
誰に何かを言われても、言われなくても、
頑なに変わることのない、
不器用で不便極まりのない、

それでいて、
他の人には到底味わえない、
生きた甲斐のある人生を共に切り拓いていくものである。