この命、爆発させたい!(2)〜生きる意味〜

開かれたのは時空の扉だった

それは、デジャブでも前世の記憶でもなかった。

生きるべきか、死ぬべきか、
それだけが問題だと日々悩んでいた底なしの泥沼状態で、
もがき苦しんでいた私がようやく、ようやく受けられた命の衝撃を、
前世なんかの手柄にされては、堪ったものではない。

私は前世の生贄でも、犠牲でも、代理人でもない。

この人生を生きているのは紛れもない、私自身である。

前世の都合に合わせて運命を感じるほど生命力に余裕はない。

『三国志』と題された本の扉を捲ると、千八百年の時空を超える扉が開かれた。

私の目が文字に触れると、文字が空間に飲み込まれて三国志の世界が拓かれた。

舞い上がる砂埃や、緊迫した空気、固唾を飲み込む音さえも
私の五感を通して想像力では追いつかないほどの臨場感に支配され、
気がついた時にはもう、元の世界には戻れなくなっていた。

 

唯一の生場所

私の生活はいうまでもなく、脈打つ鼓動の一つ一つが
三国志の英雄たちと生きるために動き始めていた。

呼吸をするたびに、彼らの想いが私の体内に循環されていった。

その当時、巷では「三度の飯より三国志」ブームが巻き起こっていたが、
三度の飯さえ忘れさせる三国志である。

当然、生きるのに必要のない教室内での記憶は、
授業で得た知識とともに水洗トイレの水の如く排出された。

命と希望を捨てずに、
どんな状況下であろうとも
心を重んじて生き続けることの大切さを教えてくれる英雄たちの存在は、
私にとって命綱となっており、
授業中も休日もオンもオフもなく、三国志の世界に入り浸った。

三国志の世界だけが唯一、私の命を匿ってくれる生場所(いばしょ)だった。

突如訪れた終焉

三巻の小説だけでは物足りなくなっていた私は、
川本喜八郎氏の「人形劇三国志」や、全六十巻ある「横山三国志」に没頭した。

幸い、父も横山三国志にハマったので、私のお小遣いと、
父の機嫌の良さが上手く噛み合うと、破竹の勢いで読み進めることが出来た。

授業中はそれまでの内容を復習するかのように、
脳裏に焼き付いた三国志の世界に遊びに行っては、
妄想や想像を膨らませ、悦に浸っていた。

だが、そんな牧歌的な生活は、現実を前に、いとも簡単に終焉を迎えた。

 

人生を変える一大事が起きたのは、
気付けば私の部屋にあるカラーボックスは三国志専用となっており、
さらにふと我に返れば、
所狭しと押し込められた三国志関連の書籍の背表紙の大半が
「諸葛孔明」に埋め尽くされていると認識するようになった頃だった。

内容が難解そうでも、少しでも好きな人の情報を得るように、近づけるように
夢中になって関連書籍を買い漁った結果、
大勢いる英雄たちの中でも、
無意識のうちに諸葛孔明先生に惹かれている
自分の存在を胸の高鳴りと共に知った。

そんな時である。

それを待っていたかのようにタイミングよく、
中国ドラマ『諸葛孔明』が日本に上陸した。

陳舜臣氏が内容から文化考証に至るまで、
大絶賛したほどの作品である。

言語化できない感動を覚えたのは言うまでもないが、
それ以上に私が強く感じたのは自分への失望と悔しさだった。

その理由はたった一つ。

「彼らの話している中国語が、ただの一言も分からない」

当たり前すぎる現実を思い知らされたからである。

まだまだネット社会とはかけ離れていた三十年前。

学校の授業で中国語は教えていないのだから、
他に自主的に学べる場はなく、
一言も中国語が分からないのは当然である。

が、どんなに、どんなに大好きでも、
想いだけでは超えられない壁があると初めて知った。

そんな地球規模の常識が、ただただ悔しくて、悔しくて仕方がなかった。

こうして、それまで何となく抱いていた三国志英雄たちへの淡い妄想と、
興奮は現実の壁を前に脆くも崩れ去った。

あんなにも妄想の世界で楽しく話していたはずだったのに、
それは机上の空論と変わらなかったことに愕然とした。

十三歳の私との約束

だが、この大いなる失望は

「今死んでも、孔明先生と話ができない!」

イジメがどんなに辛くても、
死んだところでその先には何もないことに気づかせ

「そもそも。三顧の礼を尽くして、やっと会うことが出来るほどのお方。
今、ここで死んでも、孔明先生は私に会ってくれるのだろうか?」

十三歳の私なりに真剣に、現実的に思案した結果

「中国語を話せるようになって、尚且つ、
孔明先生が会って下さるような人間にならなければならない!」

この人生に於いて生きる原点が明確になり、

「あの世で孔明先生に会うために、生きよう!」

孔明先生こそが人生の師であると命に宣言すると、
この先、何が遭っても、何が何でも、生きようと思えた。

それは私の人生から自殺という選択肢が削除された瞬間でもあった。

余談だが、今、こうして生きているのも、
当時の自分との約束を果たすためである。

私の人生は、ただ、それだけである。

だが、私が生きるには、それだけで十分である。

それだけが全てである。