師せる孔明先生、幾度も私を走らす(8)〜三国志な奇跡の始まり〜

オドオドしながら教室へ着くとー
「すごいね!」
校長お墨付きの凄い人!
という認識のもと、目が合った人全員に笑顔で迎えられた。
ああ、三国志の人!
クラスメートだけではなく、接点のない先生にまで
「ああ!あなたは、三国志の人!」と
声を掛けられるようになってしまった。
校長の、一国の主君の言葉が、
これほどまでに重いものだったとは!
そして意味のない私への嫌がらせは、
この朝会を機にピタリと止んだ。
今までとは明らかに違う反応。
喩えるなら、
水戸黄門が身分を明かした後に
「ご隠居様、今までの数々のご無礼、お許しを」と
態度を変えて旅立ちを見送るエンディングのような感じだろうか。
「今までと同じ扱いをしては、いけない」
私のいない時に会合を開いて打ち合わせでもしたのかと思われるくらい、
目に見えて彼らの態度は変わったのだ。
フルネームの呼び捨てから「名前+さん」になったり、
どうでも良いことでさえ、話しかけてくる人も増えた。
三国志は難しいというイメージからか実は頭がいいのかも、
と誤解された可能性が高く、
成績上位陣に目をつけられるようになった。
更には、からかっていた人たちが普通に接してくるようになり、
これまでの悔いを改めるかのように、
何だか色々と気を遣われるようになっていた。
思い出せる範囲だけでも、この変わりよう。
その日だけ、ではなく卒業するまで彼らの私に対する対応は変わらなかった。
ボディガードは三国志の英雄たち
校長の権力半端なし、とも思うが、それ以上に三国志の英雄達が守ってくれている!
という実感が何より大きかった。
目には見えないが、
まるで三国志の英雄達が私のボディーカードになって守ってくれているような、
そんな確信を持つようになった。
もし、無難な言葉を選んでいたら?
もし、校長に事前に打診されていたら?
絶対にあり得ない奇跡だった。
常識では起こるとは考えられないような、
不思議な出来事。
特に神などが示す、思いがけない力の働きを奇跡、と呼ぶという。
ならば三国志英雄の神対応はまさに本物。
優しく強く、目に見える奇跡を起こしてくれる神。
中国で未だに畏れながら愛され、祀られているのも納得である。
だが、この奇跡さえまだまだ序の口。
時空を越えた奇跡はここからやっと、
本腰を入れて始まっていくのだった。