師せる孔明先生、幾度も私を走らす(5)〜夢破られても三国志あり〜

言の刃で玉砕された十三の夢

幼少期からその日まで、私には「獣医になりたい」という夢があった。

二者面談で「将来の夢」を担任教師に聞かれた時、
相手は言葉も心も通じない人間だということを忘れていた。

夢を語ることにワクワクを感じていた私は、
大人である担任教師に応援して欲しかったのだろうか。

「将来の夢は?」と事務的に聞かれただけだったのに、
私は目を輝かせて夢を語ってしまった。

「獣医になることです!」と。

それに対する担任教師の答えが

「だったら、もっと勉強しろ」とか

「今の成績では無理」とか

「現実を見ろ」というような言葉だったら、まだ、許容の範囲内だった。

だが、その人が笑いながら放った一言は、

 

「豚が豚の世話をしちゃ可笑しいだろう」

 

耳を疑う前に、砕かれた夢の音が未来を塞ぎ、
心と精神が真っ二つに裂けた。

当時、四十路前だった担任教師にとっては、
意味のない、くだらない、心ない冗談のつもりだったのかも知れない。

だが、十三歳だった私にとってその言刃は、
それまでの私の存在価値さえも木っ端微塵に破壊するには十分だった。

こうして獣医になる夢は、
この時のこの一言で瞬時にして、終わった。

たったそれだけでと思われるかも知れないが、
それくらいの破壊力があった証。

余談だが後日、通知表に書かれた一言は

「獣医になりたければ、人間という生き物をもっと好きになりましょう」だった。

イジメを見て見ぬふり、夢を平気で壊す言葉の暴力を大々的にぶちかましておきながら、
それが人間だと私に擦り込んでおきながら、どの口がそんなことを言うのだろう?

あまりにも貴重で有り難いご意見だったが

「はぁ? 獣医? 誰がなるの?」

怒りを通り越して、人間なんてくだらない生き物だ!
と担任教師と同じ人間であることに嫌悪感すら覚えた。

それでも、そんな私が

「希望と命は絶対に捨てるな!」

横道に逸れることなく、命を絶つことなく今日、
こうして生きていられるのは、
大好きな三国志の英雄達のおかげである。

彼らが命を懸けるのは大事な人を守るため

周りの人が嫌いだからとか、この状況から逃げたいから、
という理由で生きるのを諦めることはなかった。

私が三国志の英雄達に最初に学んだことは、
「生き続けること」ほど難しく、大事なことはないということだった。

今、どんなに辛くても、解ってもらえなくても、
必ず報われるから、
耐えて耐えて、何が何でも生き抜け!
と生きる道を歩くよう背中を押してくれた英雄達。

こうして同じ時代の同じ国、同じ学校の人間によって、
瀕死の精神状態に追い込まれた私は、

時代も国も違う三国志の英雄達によって
一命を取り留めることが出来たのだった。