師せる孔明先生、幾度も私を走らす(4)〜死して後、始まる〜

想いだけでは超えられない現実の壁

まるで群雄が犇(ひしめ)くように、
三国志関連の書籍が私の手元に引き寄せられたかと思いきや、
その実、私が三国志の英雄達の魅力に引き寄せられていた。

そんな数ある三国志作品の中でも特に大きな衝撃を受けたのは
中国のテレビドラマ『諸葛孔明』だった。

陳舜臣氏も大絶賛した本場中国の作品。

その大作が私に与えたのは、大きな感動!
ではなく、激しい苛立ちだった。

その理由はたった一つ。

大好きな三国志の英雄達が話している言葉を
一言も聞き取れなかったから。

当然のことながら、学校の義務教育で学ぶのは英語。
一度も、一言も中国語を学んだことはないのだから
至極当然のことではあったが、
どんなに大好きでも愛や情熱では超えられない
現実の壁があると思い知った。

だがその現実は
「今この人生を自分の手で終わらせて、
仮にあの世で孔明先生と会えたとしても、
中国語が解らないから話が出来ない!
その前に、私自身が人間として全然ダメダメだから
三顧の礼どころか、百万回謁見を求めても、会ってもらえず、
門前払いされるだけ。ということは……
イジメに負けて死んでいる場合じゃない!」

何がなんでも生き続けて、中国語を学んで、
孔明先生が会ってくださるような人間になると私に決意させた。

死して後、始まる!人生最大の目標

これは、十三歳の時から今日まで私が一途に掲げている、
人生最大の目標である。

死して後已む、ではなく死んでからが始まりと言ったところだろうか。
そう思うと、担任教師やクラスメートと同じ空間にいながら、
異なる次元と時空で生きられるようになり、
言葉と心の通じない彼らの言動は気にならなくなった。

彼らの嫌がらせに付き合っているほど私は暇じゃないし、
何よりも、広い地球で、
この教室だけが全てではないのだから。

とはいえ、敵もさるもの。

何が何でも生き抜くことを決意したが、
そんな決断を快く思わない担任教師が私に向けたのは、
夢と心を殺傷する言刃(ことば)だった。

その言刃とは?

次回へ続く>>>