平常心って保つものなの??
諸葛流文霊想作家の玄子(げんし)です。
平常心とは?
平常心を保ちましょう!とか、平常心を保つコツとかよく言われますが、そもそも平常心とは
平常心:いつもと変わらない平穏な心。平常時の揺るぎない精神状態。だそうです。
私の平常心が平常じゃないだけかもしれませんが、一種の精神状態をずっと保つことが求められるのって息継ぎなしでずっと泳いでいるような、そんな違和感を抱いていました。
最近改めて孔明先生の文霊「誡子書」を想作しているのですが、その過程で気付かされて納得したのが、こちら
今日の孔明先生の文霊
冷静な謙虚さで平常心を養おう
平常心は保つのではなく、養い育てていくものだというのが前提。
平常心とは試行錯誤、切磋琢磨しながら自分に足りないものを日々積み上げながら育て上げていくものなのか。
平常の心の状態って、窮地に服用したり、着用したりするものではありません。
平常心を保てなくなってもそれで自分を責めることなく
謙虚に自分の何が足りないか?受け止めて試行錯誤していくことで平常心を育てていくというもの。
なので「平常心でやらないと」って焦っても平常心にだけ気を取られては何もできなくなるので
まずは冷静に、自分のできる範囲内でやれること、やれないことを見極める謙虚さがあってこその平常心。
平常心を育てるのは鈍感力よりも謙虚さ
例えば平常心を保つために、他人の言うことは気にしない!って方法もあるようですが
私は気になって夜も眠れなくなるタイプなので無理!
私の場合は、とりあえず感情をノートに殴り書きして落ち着かせます。
これだけで平常心に戻ることはできますが
同じことをまた言われると時間の無駄なので、
じゃあ、どうすればいいか?って傾向と対策を考えます。
口先だけ、上部の言葉だけで自分の心を誤魔化しても、響かないし、効かない。
ずっと維持し続けるって、自然界でさえ、、、
曹操閣下の言葉を借りるなら
「天も地も目には見えぬが刻々と動いている」のです。
それなのに心の状態を保ち続けるって・・・私は息苦しい。
なので、以前は平常心で出来なかったことが平常心で出来るようになったら
ちょっとは成長している気になれます。
そんな理由から、私は平常心は鈍感力で保つものではなく
謙虚に育てるものだと孔明先生の文霊に学びました。
日本と中国で平常心の捉え方の違いもありますが、どちらが正しいか?ではなく自分に合っているのはどちらか?
って判断基準で平常心を保つなり、養うなりして自分という器を深めて生けたら良いのでは?と思いまする。
平常心を「保つ」方がしっくりくる方は保てば良いし
平常心を「育てる」方がしっくりくるなら、育てればいい。
保つ、育てる以外にも他にもいろいろな捉え方があると思うので
あくまでも自分の心はどうなのか?自分の心に合った方法で取り入れてくださいね!
良いものは時代と国境を超えてどんどん取り入れて生きたいですね!