口には大義を唱えても、、、
諸葛流文霊想作家の玄子(げんし)です。
*文霊(あやだま)とは?
時代、時空、国境を越えて読む人の心を動かす力を持っている文字には霊(魂、精神)が宿っているという概念から生まれた玄子の造語です。
孔明先生の文霊はとても奥深く、普通に兵法書として読み流すにはあまりにも、もったいない!
ので!!「現代生活で活用するには?」という私独自の視点と、孔明先生の人柄や魅力を取り入れながらから文霊を想作しています。
ただいま孔明先生著「誡子書」の文霊に学んでいます。
前回の文霊 年與時馳 意與歲去 の続きからです。
今日の文霊*誡子書11
遂成枯落
今日の心譯
口には大義を唱えても、行動が合致しなければ志も志ではない!
無駄に年齢だけ重ねて何もしなければ、最終的には何もしないまま枯れ落ちてしまうぞ!
と三国志の英雄たちは異口同音に言いそうですね(^^;;
じゃあ、何が枯れ落ちるのか?
深掘りした私の心譯はこちら
志を実現するための行動をしなければ
志や情熱はもちろん、
人生における生き甲斐さえも枯れ落ちてしまうだろう
あくまでも私自身の解釈です。
夢よりも志の方が心に響くし、生きる情熱があれば年齢に関係なく
生きた甲斐のある人生を送れると考えているので。
私の心譯を参考にご自身の心に響く文霊想作をしてみてくださいね!
私事ですが、この文霊は何度も叱咤激励されています。
ボケ 〜〜っとしている間にも人生の限られた時間は過ぎて、気付けば枯れ落ちるのを待つだけの状態になってしまう。
それでも何もしないままで良いのか?と。
やりたいなぁって思ったことがあれば、そのうちよりも今のうち。
明日死んでも後悔しないような今日を生きたい。
ってことで。
今、こうして孔明先生の文霊想作をお伝えしています。
三国志を知らない人でも孔明先生の文霊を自分が納得できる言葉に咀嚼して活用してもらえたら嬉しいです。
心譯・玄子(げんし)