未来の自分はアテにならない!頼らない!
諸葛流文霊想作家の玄子(げんし)です。
*文霊(あやだま)とは?
時代、時空、国境を越えて読む人の心を動かす力を持っている文字には霊(魂、精神)が宿っているという概念から生まれた玄子の造語です。
孔明先生の文霊はとても奥深く、普通に兵法書として読み流すにはあまりにも、もったいない!
ので!!「現代生活で活用するには?」という私独自の視点と、孔明先生の人柄や魅力を取り入れながらから文霊を想作しています。
ただいま孔明先生著「誡子書」の文霊に学んでいます。
前回の文霊 險躁則不能治性 の続きからです。
今日の文霊*誡子書10
年與時馳 意與歲去
年:年齢
意:志
今日の心譯
年齢は時とともに馳せ去り
志は年齢とともに過ぎ去り、還ることはない
後でやろう!後で読もう!と未来の自分に期待しすぎていませんか?
過去に「後でやろう」と思ったこと、未来に当たる今、ちゃんとやっていますか?
ただでさえ、何が起きるか判らない、予定は未定の人生。
未来の自分は、アテになりません。
未来の自分に頼りすぎていては、あっという間に時間は流れて歳を重ね
その頃にはやろうと思っていたことさえも
「今更もう、いっか〜」って過去の自分に未使用のまま返却されて終わり。
で、最後の最後に「ああ、あの時やっていれば」って人生を後悔したまま終わっていいのか!?ってことです。
三国志の時代は戦乱の世。
一寸先はあの世かこの世かって時代でした。
だからこそ、この人生、この瞬間をどう生きるか?大事にしていたのです。
何かをしても、しなくても時間は過ぎ去ってしまい、二度と戻ってきません。
また、どんなに高尚な志があったとしても何も行動しなければ
過ぎ去った年齢を追うように、志は心と人生から去ってしまいます。
どんなに熱い飲み物、食べ物も時間をおけば冷めるように
どんなに熱い志を抱いていても、何もしないままでは冷めてしまいます。
やりたいことを未来の自分に頼らず、アテにせず。
志が醒めてしまう前に今、この時、この瞬間を生きている自分自身が主導権を握って実現して生きたいですね!
心譯・玄子(げんし)