自分の言動を修める「静」とは?
諸葛流文霊想作家の玄子(げんし)です。
*文霊(あやだま)とは?
時代、時空、国境を越えて読む人の心を動かす力を持っている文字には霊(魂、精神)が宿っているという概念から生まれた玄子の造語です。
孔明先生の文霊はとても奥深く、普通に兵法書として読み流すにはあまりにも、もったいない!
ので!!「現代生活で活用するには?」という私独自の視点と、孔明先生の人柄や魅力を取り入れながらから文霊を想作しています。
今日の孔明先生の文霊(あやだま)
靜以修身
原典*孔明先生著『誡子書』より
今日はこの文霊を想作します。
自分の言動を修める「静」って何?
自分の言動を修める「静」ってどんなでしょうか?
静かさに抱くイメージは人それぞれ異なりますが、
誰に何を言われても一喜一憂せず、感情的にならない強さ。
その強さを例えるなら暴風雨に襲われても静かに、冷静にど〜んと構える太い幹。
ってことで。私の解釈はこちら
静かな心とは、何が遭ってもブレることのない人生幹なので
人生幹を樹立して、人間力を育てていこう!
心譯*玄子(げんし)
となります。
孔明先生の誡子書は既に有名ですが、「静を以て修身す」だけで意味わかりますか?行動できますか?
何をどうすれば自分ごととして行動できるか?ってくらいまで自分の言葉で落とし込めないと、表面上の書き下し文だけ暗記しても全く意味はありません。
ただ、暗記しているだけ。で、何?です。
全く教えを実行していないのなら、それは読んでいないのと同じ。
なので私の解釈を参考にしてもしなくても構いませんが(^◇^;)
是非ともご自分が行動できるくらいまで孔明先生の文霊を咀嚼してみてくださいね!