私淑派★三国演義その1【宴桃園豪傑三結義   斬黃巾英雄首立功】

三国志作家の玄子(げんし)です。

三国志縁義を楽しむなら基本として中国四大名著の一つ、三国演義は押さえておきたいところ。

なので今日から不定期になりますが、三国演義原文のタイトルに沿って、三国演義の流れと、そして、そこから英雄たちに学んでいく私淑精神を伝えていきます。

タイトルの訳は意訳となりますのでご了承ください。

では、早速いきます!

宴桃園豪傑三結義   斬黃巾英雄首立功

第一話からして三国演義はもう、ぶっ飛んでいます!
ときはざっと1800年前の中国。
漢王朝の腐敗は、天下の不満を引き起こし、ついに黄巾の乱が勃発!

黄巾軍が思いの外強く、官軍は思いの外弱かったので、そのうちなんとかなるだろう、とタカを括っていたのに黄巾軍の勢力は増すばかり!

そこで漢王朝は民間の力も借りるべく、義勇軍募集の立て札を立てました。
義勇軍なので無償です。ボランティア。
武器も食費も交通費も全部自腹でどうぞってやつです。

普通は「そんな都合のいい話しやがって!」と憤るところですがこの立て札をみて
「今こそ立ち上がろう!」と命と人生を懸けた三人がいました。

それがこれ前半部分

宴桃園豪傑三結義(豪傑三人、桃園結義で義兄弟に!

三人の豪傑とは、劉備(玄徳)殿、関羽(雲長)殿、張飛(翼徳)殿。※史書では益徳。

この三人が桃園で義兄弟の誓いをしましたよ、と言うのが
宴桃園豪傑三結義

世に言う、桃園結義です。
この時の有名なセリフがこちら

不求同年同月同日生 只願同年同月同日死

生まれた日は違えど、死ぬときはともに!
三人の覚悟の強さが伺えます。

この三人は朝廷の力だけでは手に負えなくなった黄巾軍を倒すべく、義勇軍として立ち上がりました。

無名の、官位も地位も何もない、あるのは熱い志だけ!
そんな三人は義勇軍とは思えないほどの大活躍をします。

それが後半部分のタイトル

斬黃巾英雄首立功(黄巾軍を斬って英雄、功績を挙げる)

三国演義、何が凄いかって、第一話からしてすでに英雄が揃っているのです!
桃園結義の三兄弟だけではなく!
同じく第一話から登場して功績を挙げたのは

曹操(孟徳)閣下でした!

ある意味、ここでもう役者は揃った!ようなもの。

曹操閣下は義勇軍ではなく官軍だったので戦功を挙げた分だけ出世しました。
が!義勇軍として参加した三兄弟に待っていたのは恩賞ではなく肩書き社会との戦いでした。

特にヒドイのはせっかく助けてあげたのに義勇軍というだけでバカにされたこと!
命の恩人をバカにするような人が偉そうに手柄だけを我が物顔で奪っていくのです。

三国志の始まりは、そんな時代でした。


そして助けてもらったくせに義勇軍という理由だけで桃園三兄弟をバカにしたのは「董卓」という男だったのですが、こやつ、後日に大暴れしますので名前だけでも覚えておいてくださいね!

頑張っても報われない三兄弟に、さらなる試練が!?
気になったら続きはまた次回!

お楽しみに〜。

今日の私淑ポイント

義勇軍募集の立て札を見たときに「好機到来!」と行動に起こした三人。

地位も資金も人脈もない状態でありながら行動に起こせた志の熱さは、三人の人生のみならず、中国の歴史さえ動かしていくのですが、「ない」状態を言い訳にせず出来ることから始める勇気。

まるで申し合わせたかのように、張世平さんが官位以外のものを出世ばらいで援助してくれましたが、それもやはり玄徳殿の志に動かされたから。

仮に張世平さんがいなかったとしても、この三人なら、三人だけで義勇軍として起ち上がったと思います。


誰かや何かのせいにせず、あてにせず、自分が今できることをする。

「そのうち〜」と先延ばしにしたり「まだ足りない」と条件が揃うのを待っていたら、せっかくの想いも志も年齢とともに老化してしまいます。

何もしないまま「あの時、チャンスだったな〜。あの時やっていれば!」と悔やんでも時間は戻りません。

人生の最後に「自分の人生って一体なんだったんだろう?」ってことのないように!

孔明先生の文霊

たった一度きりの人生

落ちていくのを待つだけの

枯れ木の葉になってもいいのか!?

原典*孔明先生
心譯*玄子