行動力の源にあるもの

玄子(げんし)です。

私は、とりあえず行動するので、行動力を上げるにはどうしたらいいか?って聞かれますが、一言で言えば、思い立ったら吉日!

思い立ったら、すぐに取り掛かる、ただ単にそれだけの話です。

それでも行動できないのはなぜか?って考えてみました。

行動をしない言い訳探しをしていませんか?

例えば海外旅行。

私は行くと決めたら全て決めてから、チケットを手配してから「この日から中国に帰るんだけど、時間空いてたら会わない?」って感じで友達と会う日を決めます。

都合が悪ければ、一人で楽しめばいいだけなので気にしません。

でも、数ヶ月前に決めるので、毎回、会いたい人に会えています。ありがと〜。

だからお互いに無理強いせず、相手のせいにせず喜んで時間を作って会うことができます。

孔明先生にもお会いできます♪

で。仮にこれが「行こうと思うんだけど」のまま、何もしなかったら?

そのうち、行動をしない言い訳をネットや妄想から生み出し終いには

「なんか面倒になってきた」「お金がもったいない」「気持ちが盛り下がってきた」ってことに。

行きたいなら行けばいいし、嫌ならやめればいい。それだけです。

やめる決断を下すのも行動力の一つです。

早い話が情熱

行動するにしろ、しないにしろ、一度決断したら、その後はウジウジ引き摺らない。

いうまでもなく行動する、しないを決めるのは自分自身です!

自分の決断に責任と自信を持ちましょう!

いつまでも同じことの堂々巡りで悩んでいると「え?まだその話?」って聞き手がタイムスリップせざるを得ない羽目に。

私自身は行動力があるとは思っておらず、周りが行動力あるねって言ってくれるだけですが、その理由は三国志が好きってだけで中国へ行ったことが大きいようです。

早い話が、行動せずにはいられないほどの情熱があるか、どうか。

嫌なことはしたくないし、本当に好きなこと、やりたいことは気がついたら行動しているもの。

その好き嫌いの判断は、他人ではなく自分の心だけが知っています。

嫌なことはそれを微かに思うだけでも気が重くなるし、好きなことは楽しくなる。

とってもシンプルです。

好きなことなのに、気が重くなるのは、行動するほどの情熱ではないのかも。

誰かに言われたから、行動をした、しないって選択をしてしまうと、何かあった時に、その誰かのせいにしてしまうので、そのうち、「何を言っても結局行動しないから、、、最後は人のせいにするから、、、、もういいや」
って思われ、後悔以外残らなくなってしまうことも。

そうならないためにも、検討中の時は自分の中でじっくり考える。
決断したら誰かや何かのせいにせず、自分の責任で決める。

とは言っても、一気に難しいことからではなく、お茶かコーヒかどっちを飲むか?って日常生活レベルのことから、自分の判断力を自覚する習慣をつけてみては如何でしょうか?

孔明先生の文霊(あやだま)

 

何をするにも優柔不断でグズグズと躊躇い

結局は何も決められない、ということはないだろうか。

一度決めたら「思い」がふらつかないよう

自分が納得できるまで熟慮して

誰かのせいにしないよう自分の責任で判断しよう

 

 

自分軸より人生幹

他人との比較で生じる自分軸よりも、人生の幹となる人生幹を樹立して生きませんか?

自分軸や他人軸といった軸業界?に属することなく、自分軸だからいいとか、正しいではなく。

軸社会に於いてどう思われようが、軸にとらわれず小手先の技術や枝や葉を伸ばすことだけに囚われず、人生のど〜んとした幹を育てて生きませんか?

そんな人生幹を育てるにはどうするのか?といえば、私の場合は孔明先生に学んで活かす!

学んだことを活かす、そんな行動力を日常的に高める生き方もまた、一興です!

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