三顧の礼に学ぶ「謙虚力」

玄子(げんし)です。

謙虚さは美徳じゃない、とか、時代遅れって言われるけど、その反対語は、傲慢、尊大、横柄、不遜。

そんな人たちが「時代の先端だゼィ」って幅を利かせる世の中ってどうよ?って思いませんか?

それよりだったら、時代遅れでも謙虚な人たちとの縁を大切にしたいなって思います。

目次

三顧の礼に学ぶ・謙虚な人の特徴

謙虚さは本当に時代遅れなのか?

謙虚な人ってそもそも、卑屈な人のことではありません。

そこでいくつか、謙虚な人の特徴を「三顧の礼」を通してご紹介。

自分の話をあまりしない

相手の話を聞くことに重きをおくので、自分のことはあまり話しません。

そんな人物は三国志で言ったら、玄徳公!!!

感情を出さない、寡黙な人として知られていますが、その分だけ、聞き上手でした。

あの孤高を持する孔明先生に初対面で「天下三分の計」を語らせるってだけでその力は立証済み。

後年、孔明先生は出師表の中でも

玄徳様は、臣下の意見一つ一つに対して、丁寧に話を聞きしっかりと考えた上で答えられていました。だからこそ、我々臣下は、(しっかりと話を聞いてくれる玄徳様に対して)少しでも国を良くする進言をしようと競ったものです」と述べています。

ただ単に、「はいはい、聞けばいんでしょ」って聞くふりをするのでもなく、聴き流すのでもなく、一つ一つの声に耳を傾けるって意外と難しいこと。

現代でも意見が違うだけでヤジを飛ばしたり声を荒げたりして話を遮ろうとしたり、相手が話し終える前に勝手に独断と偏見で話の腰を折ってまとめに入ったり、、、

大事な話ほど、自分の感情を向きだす前に、相手の話をしっかりと聞けるよう努めたいですね。

そして、それが出来る人は、謙虚な人なのです。そんな人が時代遅れ?

地位や肩書き、年齢が上でも傲慢にならない

私が個人的に話が合わない、噛み合わない、価値観が違うなと感じるのは、その人自身の「個」の情熱よりも、これまでどんなすごい経験をしてきて、周りにどう評価されたか、とか天上天下唯我独尊なタイプ。

先生でも、上司でも、先輩でも、師匠でもないのに、年上だから、男だから、社会的地位が高いから、年収が多いからってだけで何をするにも、何を語るにも、なぜか上から目線。

そんな人、いませんか?

それが普通なのか?もしれませんが、私はそういう人とは積極的に距離を置きます。

なぜなら、私にとっての基本は三国志だから!

三顧の礼。3度も山奥にある庵を自ら訪ねた玄徳殿と訪問を受けた孔明先生の年齢差は20歳。

他の諸侯は、肩書きや年齢、権力、豪華な贈答品、時には家族を使って孔明先生に仕官話を持ちかけましたが、答えは同じ。

「仕官する気は無いんで!」でした。

そんな噂がたったら、生意気な若造だと見限って終わりですが、天下三分の計という気宇壮大な構想を胸に秘めていた孔明先生を動かしたのは、地位や肩書き、年齢差を取っ払って頭を下げた玄徳殿でした。

謙虚さは、やれと言われてやれるものでは無い

そんな玄徳殿も当初は「君の友達なら、臥龍先生をここに連れてきてくれ」と元直殿に気軽に申し付けますが、元直殿は「そんなんじゃダメです!」と賢者を迎える心得を叩き込みました。

実兄の諸葛瑾殿ももちろん、孔明先生の性格や動かし方を知っていたのでしょうが、荊州で知り合い、内に秘めた志や求めている主君を客観的に把握できた元直殿は、戦乱続きの世の中で玄徳殿が武器とすべきはその人徳であると見抜き、自ら会えるまで、幕下に加わってくれるまで根気よく訪問するよう諭しました。

自分よりも才能がある!と自覚している人物を主君に推挙できる元直殿もスゴイですよね!
普通は居場所や活躍の場を奪われることを恐れて、推挙するなんて、、、出来ることではありません。
そんな元直殿の謙虚さと忠義の心が、三顧の礼を成し遂げさせたのは言うまでもありません。

とはいえ。一度くらいなら訪問できても、三度も訪問するとなると、お供をした関羽殿、張飛殿の反応が普通です。

では、なぜ玄徳殿は三度も訪問できたのかといえば、孔明先生が「権力や地位ではなく、誠意を魅せれば動く人物」だったから。
玄徳殿自身も、地位や名誉よりも誠意や気持ち、心を大事にする人だったので「何が何でも何度でも!」と思えたのかも。

本気で漢王室の復興を志していた玄徳殿だからこそ、相手が無名の年下であろうとも、頭を下げることを厭わなかったのです。

う〜む。いいですね。三顧の礼。

ですが!!!ここからが要注意!!!
三国志という有名な話の中の、三顧の礼というこれまた有名な場面だからと、どこか「他人事」として捉えてしまうかもしれませんが、それだと、三国志を読んで終わり、になってしまいます。

謙虚力を玄徳殿から学び得ることはできません。

自分ならどう?

謙虚さを三国志に学んで自分のものにするには、感想を述べて終わらせるのではなく、自分はどうか?

相手が年下、目下、部下、後輩、家族だからといって相手の話を聞くよりも、自分の自慢話を賞賛するよう押し付けていないか?

自分の価値観や判断だけが絶対だと押し付けていないか?

20歳も年下の人の意見を偏見や壁を作らずに素直に聞けているか?

人生100年と言われている今の時代。

最終的にはビジネス力、女子力よりも人間力、人としての生き方が問われるようになります。

三顧の礼に学ぶ謙虚さを実際に行動に移して自分の力にするのか、

何も行動せずに「理想論」「詭弁」だけで終わらせるのかー。

決めるのは、この人生の主役である自分自身に他なりません。

三国志の英雄に学んだことを実生活で活用して人生幹にする生き方もまた一興ですよ!