【元宵節】孔明灯に見る孔明先生への敬意

玄子です。

旧暦の正月、春節の2週間後、
正月15日は元宵節。

上元節とも呼ばれており、
中国や台湾を始め各地で
イベントが行われています。

孔明先生の故郷では毎年、
孔明灯が夜空に放たれていたようですが
火事になる恐れがあるため
制作、販売、夜空に放つものが、、、

早い話が全面的に禁止!?

 

写真は秋田県の西木町で行われる紙風船祭り。

孔明灯もなんとなく、こんな形です。

で、気になるのがその呼び方ですが

目次

なぜ諸葛亮灯ではなく孔明灯?

孔明灯の孔明とは、
もちろん、諸葛孔明先生のこと。

でも、なんで孔明灯と呼ぶのか?
なぜ普段呼んでいるように「諸葛亮」灯ではないのか?

って疑問をお持ちの方もいるようですが、その前に!

孔明灯の由来は?

孔明灯そのものの起源は諸説あり、
孔明先生が北伐の際、
司馬懿軍に取り囲まれこの紙風船を
上げて援軍を求め窮地を脱したからとか

成都では風船の形が孔明先生の冠の形に
似ているからということが理由のようです。

なので、昔から孔明灯と呼ばれています。

諸葛亮灯、ではなく、孔明灯と呼ばれています。

諸葛亮灯ではなく、孔明灯なワケ

三国志の時代では字か
官職名で呼ぶのが基本で
姓名の呼び捨ては非礼とされていました。

諸葛亮灯だと言いづらいから、
とか
孔明だと明るさを感じるからって
説もあるようですが
私自身が考えるのは、

諸葛亮灯って
失礼この上ないから!

姓名の呼び捨てなんて
無礼で不遜なことを
昔の人はしなかっただけ
なんじゃないだろうか?

ってことです。

中国全土にある武侯祠や
関帝廟といった昔からある
三国志英雄を祀っている名称をみるだけでも、
その敬意は見て取れます。

そう考えると、
孔明灯と呼ばれるのはとても自然なこと。

彼れは現代人よりもかなり、
しっかり堂々と敬意を抱いていたのは周知の通り。

仮に武侯灯にしちゃうと、
あまりにも畏れ多すぎて罰当たりな気がするけど、

 

孔明灯だったら親しみの情が
溢れている気がします。

 

歴史上の人物に敬称をつけるのは間違った日本語?

残念なことに日本では
「歴史上の人物に敬称をつけるのは
間違った日本語」
という考えがあるようです。

敬称って敬っているからこそ
自然と称したくなるもので、
その敬意が込められた言葉を
間違っているって
判断するのは如何なものなのでしょうか?

歴史上の人物を
同じ1人の人間として
尊敬することってどんなことなのか?

実際に体験したことのない人が
主張する机上の空論
のような気さえします。

歴史上の人物を敬慕して
私淑(ししゅく)することは、
正しいか間違っているかって
次元で判断すべきものではありませんよね。

ましてや相手は
歴史を動かし、
今でも国内外問わず
多くの人に敬愛されている偉人です。

上から目線で
呼び捨てる正しい日本語よりも、
彼らを今でも慕う現地の人や、
当時の人たちの想い、
価値観を大事にしながら、
時空を超えた縁を
大事にして生きたいですね!!