「正しさより楽しさ」を選択する前に!!最低限の条件とは?

玄子(げんし)です。

正しさよりも、楽しさが大事にされつつありますが、それは正しさを否定して、楽しければ何でもOKって意味ではありません。

目次

楽しさの前の正しさ

何でもかんでも、好き勝手、自分さえ楽しければそれでいい!って思い込んでいたら世の中、大変なことになります。

誰も楽しくない迷惑行為さえも、本人が楽しければそれでいいって発想になってしまいます。

挙げ句の果てに「正しさより、楽しさを大事にしろって言ったじゃん!」って人のせいにすることも。

そうならないためには?

孔明先生の文霊(あやだま)

どんなに頭が良くても

やっていいことと、悪いことの区別がつかないようでは

話にならない

原典*孔明先生著「心書」
心譯*玄子(げんし)

正しさよりも、楽しさを大事にしよう!って言えるのは、やっていいことと、悪いことの区別が自分の責任でしっかりとつけられる人。

人の迷惑や気持ちを考えずに、やりたいことを何でもやっちゃえ!って言うレベルの話ではありません。

善悪の区別は人徳の基本

孔明先生だけではなく、玄徳殿も善悪について次のように述べています。

勿以惡小而為之 勿以善小而不為

どんなに些細なことでも、悪いことをしてはいけない。
どんなに小さなことでも、善いことを行動に移さないまま終わらせてはならない。

この言葉は、義勇軍として田舎町で挙兵して立ち上がり、波乱万丈の人生を経て一国の皇帝になった玄徳殿が「才能も徳もない人間が人を惹きつけるには」と肝に銘じるよう、白帝城で遺言として伝えた言葉です。

悪いと思ったことはしない、善いと思ったことはする。

とっても、とっても簡単で当たり前すぎる言葉ですが、これが以外と難しいことは人生経験を積めば積むほど証明されていきます。

どんなに名声を得ても、学歴があっても、「何でそんなことで!?」って小さな悪が切っ掛けで、それまで築き上げてきた全てを手放してしまう有名人をニュースでよく見ますよね。

これが、「どんなに些細なことでも悪いことをしてはいけない」現実の難しさ。

また善行を積んでも積んでも報われなかったり、頑張って行動したのに、から回ってしまうこともあり「このまま続けて意味があるの?」「これくらい、自分がしなくてもいんじゃ?」って投げ出したくなることもありますよね。

これが「どんなに小さなことでも善いことを行動に移さないまま終わらせてはいけない」現実の難しさ。

だからこそ、そんな時こそ義務的、事務的にではなく楽しく取り組める方法や、仲間を見つけるのも一つの手。
善いことを正しさからするのではなく、楽しさから取り組むには?
それを考えることさえ楽しめたら素敵ですよね。

 

目に見える結果や進歩がなくても大丈夫なわけ

でも、どんなに頑張っても工夫しても、アドバイスをもらって行動してもなかなか結果や進歩がでないことってありますよね。

すぐに結果の出るほうが少ないくらいですよね。

そんな時は、今日2回目!!!孔明先生の文霊をどうぞ!!!

目に見える結果や進歩がなくてもそれまで積み上げてきたものや、想い、経験は決して無駄にはなっていない。

目には見えない次元で以前までの自分よりも確実に進歩しているのだから、損なわれたものは何もない。

すぐに結果が出ないからといって、やめたらそこで終わりです。

表立った結果や進歩がなくても、続けることで力になっているから諦めて自暴自棄にならず、小さな悪に走らず、楽しめる方法や環境を探してみてくださいね!